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今度こそ捨てる!四人とも
誕生日当日、彼氏の新堂京介(しんどう きょうすけ)を含む5人で、遊園地へ出かけた。 急流すべりの順番が来ると、彼ら4人は私・桑原千代(くわばら ちよ)を置いて我先に前の席へ乗り込んだ。 ほんの一瞬、呆然と立ち尽くした私は、何も言わず、後ろの席に腰を下ろした。 そこで初めて気づいた。 彼らはいつの間にか、みんなレインコートを着ていた。 何も知らされていなかったのは、私だけだった。 急な坂を一気に滑り落ちた瞬間、滝のような水しぶきが容赦なく全身を襲った。 頭の先からつま先までずぶ濡れになり、濡れた白いTシャツが肌に張りついて、体の線をくっきりと浮かび上がらせる。 藤宮梨乃(ふじみや りの)が振り返り、声を上げた。 「千代、なんでレインコート着てないの!?」 京介と二人の幼なじみは、顔を見合わせたまま、何も言わなかった。 でも、分かっていた。 彼らはただ、今回も私を忘れていただけ。 この前山に登ったとき、彼らは私を置き去りにした。 旅行に行ったときも、異国の地で、私だけが列車に取り残された。 レインコートを買うときでさえ、彼らはやはり私のことを忘れていた。 しばらくして化粧室へ向かい、ずぶ濡れになった自分の姿と、青ざめた顔を鏡に映して見つめたとき、ふいに苦笑がこぼれた。 どうしても私の居場所がない関係なら、もっと早く手放すべきだったのだ。
Chapters (1)
第1章
誕生日当日、彼氏の新堂京介(しんどう きょうすけ)を含む5人で、遊園地へ出かけた。
急流すべりの順番が来ると、彼ら4人は私・桑原千代(くわばら ちよ)を置いて我先に前の席へ乗り込んだ。
ほんの一瞬、呆然と立ち尽くした私は、何も言わず、後ろの席に腰を下ろした。
そこで初めて気づいた。
彼らはいつの間にか、みんなレインコートを着ていた。
何も知らされていなかったのは、私だけだった。
急な坂を一気に滑り落ちた瞬間、滝のような水しぶきが容赦なく全身を襲った。
頭の先からつま先までずぶ濡れになり、濡れた白いTシャツが肌に張りついて、体の線をくっきりと浮かび上がらせる。
藤宮梨乃(ふじみや りの)が振り返り、声を上げた。
「千代、なんでレインコート着てないの!?」
京介と二人の幼なじみは、顔を見合わせたまま、何も言わなかった。
でも、分かっていた。
彼らはただ、今回も私を忘れていただけ。
この前山に登ったとき、彼らは私を置き去りにした。
旅行に行ったときも、異国の地で、私だけが列車に取り残された。
レインコートを買うときでさえ、彼らはやはり私のことを忘れていた。
しばらくして化粧室へ向かい、ずぶ濡れになった自分の姿と、青ざめた顔を鏡に映して見つめたとき、ふいに苦笑がこぼれた。
どうしても私の居場所がない関係なら、もっと早く手放すべきだったのだ。
第1話
外に出ると、待っているはずの4人は、もうどこにもいない。
けれど、私は探しに行く気にもなれない。
人の流れに紛れるように、フロートパレードのエリアへ向かった。
梨乃は先頭のフロートに立ち、その周りを3人の男が取り囲むように並んでいた。
まるで、姫を守る騎士みたいだった。
「いいなあ。あれ、1ヶ月前に予約しないと乗れないらしいよ」
隣の若い女性の声が耳に入る。
私は黙って彼らを見つめる。京介が、梨乃の手を握っている。
――1ヶ月も前から、予約していたんだ。
それでも、私のことは忘れていた。
私はそっと目をそらした。
楽しそうに笑い合う観光客たちを前に、自分だけがまるで違う世界にいるような気がした。
パレードが終わると、彼らは帰ろうとしていた私を見つけた。
「千代、今までどこにいたんだ?
ほら、行くぞ。レストラン予約してあるんだ。誕生日を祝うぞ」
京介が私の手を取った。
小川翔(こがわ しょう)と大沢風斗(おおさわ ふうと)も笑いながら頷く。
「ずっと前から、千代のためにサプライズを用意してたんだよ」
梨乃まで無邪気に笑っていた。
私は一瞬だけ立ち止まった。
本当に、私のために?今日が私の誕生日だって、ちゃんと覚えていてくれたの?
けれど、そんな期待はレストランに着いた瞬間、あっさり砕けた。
「申し訳ございません。ご予約は四名様で承っております。満席のため、お席の追加はできかねます」
私は足を止めた。
ほんの一瞬でも期待した自分が、馬鹿みたいに思えた。
京介が呆けたように言った。
「人数、間違えた」
思わず、笑いそうになった。
間違えた?情報系の学部で首席を取るあなたが、5人すら数え間違えるなんて。
梨乃が困ったように眉を下げた。
「どうしよう……私、ちょっとお腹空いちゃって……」
京介たちが、何か言いたげに私を見た。
「私が抜けるわ。みんなでゆっくり食べてきて」
私が先に言うと、京介はすぐに笑った。
「やっぱり千代は優しいな。そういや、ダイエットするって言ってたもんな」
そう言って、京介は私の頭を軽く撫で、そのまま頬にもそっと触れた。
翔と風斗は、すでに梨乃を連れて店の中へ入っていた。
「入口で待ってて。終わったら呼ぶから」
ガラス越しに見えたのは、楽しそうに笑い合う4人。
梅雨のT市は蒸し暑い。なのに、骨の芯だけが冷えていく。
涙が滲みそうになる目を何度か瞬きして、私は彼らを待つこともなく、浮き立つ人の流れに逆らうように、歩き出した。
そういえば、山に登ったときも、同じだった。
ゴンドラは1台につき4人までしか乗れなくて、京介はなぜか最初から4人分のチケットしか買わなかった。
先に下りてるから、あとで迎えに来る。そう言い残して、4人はそのまま行ってしまった。
けれど、いつまで待っても誰も来なかった。
日が傾き始めて、さすがにおかしいと思い、山道を歩き出したところで、係員に声をかけられた。
私はようやく山を下りることができた。
家に戻ると、4人は何事もなかったみたいに映画を観ていた。
「千代?どうして今ごろ帰ってきたの?2階で寝てるのかと思ってた」
そのきょとんとした顔を見た瞬間、ああ、本当に忘れられていたんだと分かった。
卒業旅行のときも、そうだった。
みんなが海外へ行こうと言い出した。
言葉も通じないし、そもそも気も進まなかったのに、大丈夫だよ、ちゃんと面倒を見るからと何度も言われて、半ば無理やり連れて行かれた。
それなのに、最初の移動で私は列車に置き去りにされた。
聞き取れない言葉ばかりが飛び交う中で、どうしたらいいのかも分からなかった。怖くて、心細くて、頭が真っ白になって。そのまま熱を出し、私は意識を失った。
目を覚ました時には、現地の警察に保護されていた。
そこから大使館を通して帰国することになったけれど、4人のうち誰ひとりとして、私に連絡を取ろうとはしなかった。
彼らが帰国した時には、私はもう家にいた。
玄関先で顔を合わせた4人は、そろって驚いたように目を見開いた。
「え?どうしてもう帰ってるの?私たちと一緒だと思ってた」
私って、そんなに影が薄かったのかな。
十数日もの間、私がいないことに誰も気づかなかった。
それどころか、4人だけで撮った写真を、楽しそうに見せられた。
夜風に頬を撫でられて、ふと我に返った。
私は母に電話をかけた。
「母さん、前に言ってたよね。私が24歳になったら、国内に残るか、海外支社で修業するか、自分で選んでいいって。
私、決めたの。海外に行く」
電話を切ると、夜空に花火が咲いた。
【誕生日おめでとう】の文字のあとに並んでいたのは、4人のイニシャルだった。肝心の私のイニシャルだけが、そこにはなかった。
私は小さく笑って、誰にも聞こえない声で呟く。
「千代、24歳の誕生日、おめでとう」
第2話
家に帰ると、母・桑原美咲(くわばら みさき)はひと目で私が熱を出していることに気づいた。
「まあ、すごい熱……!京介たちと誕生日を過ごすんじゃなかったの?」
「……もう、いいの。あの人たちのことは、もういい」
声を出すたび、喉が焼けるようにひりついた。
母はしばらく黙り込んでから、静かに言った。
「無理に合わせなくていいわ。海外へ行きたいなら、そうしてね」
私はうなずいて、2階の自室へ上がった。
ベッドに横になろうとした時、京介からメッセージが届いた。
【おい、どこ行ったんだよ。勝手に帰るなら、せめてひと言くらい入れろよ】
先に帰った私を気遣う言葉は、ひとつもなかった。並んでいたのは、責める言葉ばかりだった。
5人のグループチャットでは、真っ先に梨乃が謝ってきた。
【ごめんね、千代。私、席の予約を間違えちゃって……】
すぐに京介が返信する。
【お前のせいじゃないだろ。あの場で嫌なら嫌って言えばよかったんだよ。今さらそんな態度取られても困る】
翔もすぐに続いた。
【そうだよ。梨乃のせいじゃないって】
風斗も短く打った。
【千代がひとりで拗ねてるだけじゃん】
私は黙ったまま画面を見つめる。
グループ名は「姫と3騎士」。私はあとから加えられただけで、京介が私につけた名前は「姫のメイド」だった。
頭の奥がずきずきと痛んでいる。
もう何も見たくない。だから、逃げるようにグループを抜けた。せめて少しだけ、静かになりたいのだ。
その夜、夢を見た。
子どもの頃、京介も翔も風斗も、口をそろえたように「千代は僕たちが一生守る」と言っていた。私をいじめる相手がいれば、誰より先に怒ってくれた。
けれど、そこに本物のお姫様みたいな子が現れた。
貧しい山あいの町から転校してきた、ユリの花みたいな梨乃。
私は彼女を自分たちの輪の中へ迎え入れた。まさかそれが、自分の居場所を手放すことになるなんて、その時は思いもしなかった。
梨乃が来てから、京介たちは目に見えて彼女を甘やかすようになった。
ペットボトルの蓋を開けるのは当たり前で、飲み物を用意し、勉強を教え、荷物を持ち、毎日のように家まで送っている。
かつて私に向けられていたものは、いつの間にか全部、彼女のものになっていた。
夢の中で、場面がふっと切り替わる。
騎士姿の京介が、私に剣を突きつけて言い放った。
「梨乃を傷つける者は、誰であろうと許さない」
私ははっと目を覚ました。枕が涙で冷たく濡れていた。
荒い呼吸がようやく落ち着いた頃、私はスマホを手に取り、翌朝A国へ発つ便を予約した。
気づけば、私はまた勝手にグループチャットへ追加されていた。
京介たちは個別にもメッセージを送ってきてたが、どれもこれも私を責めるものばかりだった。
【どういうつもりだよ。またお嬢様のわがままか】
【千代、そういうのやめろよ。俺たちのこと、少しは考えろって】
京介からは、さらにこんなメッセージまで届いていた。
【梨乃が昨夜泣いた。俺たち3人でひと晩中なだめたんだ。お前から謝ってやれよ】
私は全部無視した。通知もまとめて切った。
翌日、会社へ行き、異動の手続きを済ませた。
ようやく外に出たところで、梨乃が立っているのが見えた。
そういえば、卒業後、彼女がうちの会社に入れたのも、私が口を利いたからだった。
「千代」
梨乃は私の袖をそっとつまみ、しおらしく見上げてきた。
「……怒ってる?」
「別に」
できるだけ淡々と答えたつもりだった。
けれど、梨乃は急に泣き出した。まるで、私が泣かせたみたいに。
「梨乃!」
少し離れたところから京介たちの声が飛んできた。
京介が私を押しのけるようにして梨乃の前に立ち、心配そうに彼女を見つめる。
「千代が、何かしたか?」
梨乃は首を横に振る。何も言わない。ただ泣いている。それだけで、彼らには十分だった。
翔が苛立ったように言った。
「千代、お前やりすぎだって」
風斗も低い声で続けた。
「梨乃をそこまで追い詰めるなんて、ひどすぎるだろ」
もう、うんざり。
これ以上関わりたくない。背を向けると、京介が私の腕を強く掴んだ。怒りを押し殺したような目をしている。本気で怒る時の目だ。
「謝れ」
手首の痛みより、胸が詰まるほうが苦しかった。
昔は彼の機嫌を損ねないように、何度も何度も我慢してきた。
けれど、もう我慢しない。
私は深く息を吸って、まっすぐ言い返した。
「何に謝るの?事情も聞かないで謝れって、どういうこと?」
京介たちはほんの一瞬だけ言葉に詰まった。
それでも、口を開けば梨乃の味方ばかりした。
「梨乃が理由もなく泣くわけないだろ」
翔が眉をひそめた。
「千代、梨乃は俺たちの友達なんだ。いつもそんな上からみたいな態度で彼女を困らせるな」
風斗は梨乃に向き直り、声を和らげた。
「桑原グループなんか辞めて、こっちに来いよ」
梨乃は困ったように、一度だけ私を見た。
最後に決めたのは京介だ。
「いい。梨乃は俺のアシスタントにする。俺が一からみっちり教える」
それから横目で私を見て、言った。
「それで文句ないよな?」
私はふっと笑い、つかまれた手首を振りほどいた。
「好きにすれば」
第3話
彼女はすぐに退職手続きを済ませ、その日のうちに京介の専属アシスタントになった。
彼女の就任祝いに、彼らは郊外の山あいにある貸別荘を借り切ったらしい。
景色のいい高台に広がる別荘地の一角で、梨乃が前から一度行ってみたいと話していた場所だと聞いた。
山の天気は変わりやすく、その日も夜には雨になるかもしれないと予報が出ていた。けれど、そんなことを気にする者は誰もいなかった。
「行かない」
届いた招待状を見た瞬間、私は眉をひそめてそう言った。
すると案の定、梨乃が泣いた。
京介は慌てて梨乃をなだめ、その足で私の家まで押しかけてきた。
彼は私の部屋の前に立ち、逃がさないとでも言うように行く手を塞ぐ。
「もうわがまま言うなよ」
私は疲れたように息をついた。
「私、一体何をわがまま言ってるっていうの?行きたくないって思うことすら、だめなの?」
ここ数年、ずっとそうだった。
梨乃の機嫌を損ねれば、悪いのは私。彼女が涙を見せれば、責められるのも私。
誰ひとり、私がどう思っているのかなんて聞いてくれなかった。
卒業写真を撮る日だって、そうだった。
彼らは梨乃にだけ花を用意して、私のことは忘れていた。
それはいけないと思ったのか、梨乃は自分の花を私に譲ろうとした。けれど、私は受け取らなかった。
すると彼らは、梨乃が気まずい思いをしないようにと、私を卒業写真に入れなかった。
彼ら4人だけの、思い出の1枚。
一生に一度しかない写真に、私の居場所がないなんて。
今回の誕生日だって同じだった。
遊園地に行くことになったのは、梨乃が行きたがっていたから、京介が決めただけ。
決して、私が好きだからじゃない。
それでも疲れた声で拒めば、京介にはわがままにしか見えないらしい。
彼は口を引き結び、感情を抑え込むようにしながら言った。
「梨乃は田舎から出てきて、やっと俺たちみたいな相手に出会えたんだ。
千代が来てくれないと、あいつはまた余計なことを考え込む。
千代、頼むよ」
私は呆然と彼を見つめた。
京介が、私に「頼む」と言う。そんな日が来るなんて、思ってもみなかった。
――でも、それは恋人である私のためじゃない。
梨乃のために、だわ。
私は視線を落とす。滲んだ視界のせいで、足元がぼやけた。
「……わかった」
その一言に、京介はようやく安堵したように息をついた。
けれど次の瞬間、彼は私の枕元に置いてあったペンダントを、何のためらいもなく取り上げた。
亡くなる前に祖母が私に残してくれた、たった1つの形見。
毎晩それを握っていなければ眠れないほど、大事なものだった。
「これは俺が預かっておく。ちゃんと来たら返すから」
胸が凍りついた。
「……それが何か、分かってるの?」
かすれた声でそう聞くと、彼は当たり前のように答えた。
「分かってる。これがあれば、千代もちゃんと来るだろ。そうしないと、梨乃がもっと悲しむからな」
それだけ言い残して、彼は背を向けて出ていった。
私はその背中を見送ることしかできない。涙が、堪える間もなくこぼれ落ちる。
彼は知っているはずなのに。
私が祖母に育てられたことも。
祖母が亡くなったとき、泣きすぎて肺炎になって、あとを追うように倒れたことも。
全部、知っているくせに。
それでも梨乃のためなら、こんなふうに私を傷つけられるのだ。
私はぎゅっと目を閉じ、涙を拭った。
もう泣かない。これ以上、彼のために涙なんて流さない。
夜、別荘に着くころには、山のほうからひんやりとした風が吹いていた。
中へ入ると、広間はすでに夢のように飾りつけられていた。
まるで、お姫様を迎えるための舞台のようだった。
梨乃は私の姿を見つけるなり、ぱっと顔を輝かせて駆け寄ってきた。
「千代なら、来てくれるって信じてた。本当によかった」
「……うん」
私は何でもない顔でその手をそっと外し、まっすぐ京介のところへ向かった。
「返して」
京介は不機嫌そうに眉をひそめた。
「今じゃなくてもいいだろ。ここで返したら、梨乃に勘づかれる。
終わるまで俺が預かっておく。返すのはそのあとでいい」
そう言い切った途端、翔が横から口を挟んだ。
「千代、少しは空気を読めよ」
一方の風斗は、私たちのやり取りに梨乃が気づかないよう、さりげなく梨乃の前に立った。
どこまでも、梨乃が傷つかないように。
喉の奥がひりつく。熱が出てから、唾を飲み込むだけでも痛い。
やがて梨乃が椅子に座り、期待に満ちた目で言う。
「そろそろ時間だよ」
その声を合図に、京介は私をぐいと押しのけ、特注のケーキを運んできた。
「上の飾り、俺たちをモデルに作ってもらったんだ。梨乃、これからもずっとそばにいるからな」
続いて、翔は都内に用意した部屋の鍵を、風斗は新車のキーを差し出した。
競い合うみたいに、彼らは次々と梨乃に贈り物を差し出していく。
梨乃は目を潤ませながら、何度も涙をこぼした。
私はケーキに目をやる。
小さな人形が4つ。並んでいるのは、あの4人だけ。
やっぱり、そこに私はいなかった。
でも、もういい。今さらあそこに入りたいなんて、思わない。
私はそっと目を伏せた。
もう、期待しない。二度と。
第4話
私は少し離れた端の席に腰を下ろしていた。スマホに、明朝の便のチェックイン通知が表示された。
近づいてきた京介が、私の手元を見下ろす。
「何を見てた」
私はすぐに画面を伏せた。
「別に」
向こうで、梨乃の弾んだ笑い声が上がる。私はそちらを一瞥してから、静かに手を差し出した。
「大事な梨乃も満足したでしょう。そろそろ返してくれる?」
その言い方が癇に障ったのか、京介の眉がほんのわずかに寄る。
けれど次の瞬間には何事もなかったように表情を消し、ペンダントを私の手に戻す。
受け取ろうとした、そのときだった。
横合いから梨乃が勢いよくぶつかってきて、私の身体がぐらりと揺れる。
ペンダントは指先をすり抜け、そのまま足元へ落ちた。
乾いた音がして、次の瞬間には無残に割れていた。
息が止まった。
散らばった破片を呆然と見つめたまま、ゆっくりとその場にしゃがみ込む。
梨乃は唇を噛みしめ、泣きそうな顔で謝った。
「ごめん、千代。気づかなくて……」
私が口を開くより早く、翔が梨乃をかばうように言った。
「梨乃は悪くないだろ。千代が取り損ねただけじゃないのか」
風斗も京介も、梨乃をかばうようにそのそばを離れない。
翔は気まずい空気を打ち消すように、テーブルに置かれていた小さなメッセージタグとペンを手に取った。
「もういいって。せっかくだし、ひとことずつ書いて庭の飾り木に結ぼうぜ。記念にもなるだろ」
梨乃はぱっと顔を輝かせた。
「じゃあ私、5人がずっと一緒にいられますようにって書く!」
彼らは、そんな彼女に優しく目を細めた。
私は返事もせず、足元に散った破片を拾い集めた。
指先が切れても、気にならなかった。ただ、胸の奥だけがじわじわと痛んだ。
翔がメッセージタグを1枚ずつ配っていく。
けれど、私の番になったところで、彼の手がふいに止まった。
彼の手元には、もう何も残っていない。
その瞬間に悟る。
まただ。私は最初から、彼らの「5人」の中に入っていない。
翔は頭をかきながら、取り繕うように笑った。
「こういうの、千代は別に好きじゃないだろ?1枚くらいなくても平気だって」
京介が、私の気持ちを決めつけるように言った。
「いいよ。千代は気にしてない」
そう言うと4人は庭先で身を寄せ合い、互いの願い事を覗き込んでは笑い合っていた。
私たちのあいだには、どうしたって越えられない壁がある。
あの輪の中に、私は最初から入れてすらいなかった。
ふと顔を上げると、夜空をひと筋の流れ星が駆けていった。
私はそっと目を閉じる。
どうか、あの人たちが私の人生から、きれいさっぱりいなくなりますように。
願いごとを託すなら、あんな願い札より、流れ星のほうがまだましに思えた。
そっと目を開けると、飾り木に結ばれたタグが夜風に揺れている。
いつの間にか、彼らはもう願いごとを書き終えていたらしい。
翔が書いた願いごとは、こうだった。
【梨乃が健やかで穏やかな日々を送れますように】
風斗はこう書いていた。
【一生、梨乃を守れますように】
そして京介も、やはり私にはひと言も触れなかった。
【梨乃がこれからもずっと、俺のそばで何の憂いもなく笑っていられますように】
私はそっと目をそらした。彼らの願いは、きっと叶うのだろう。
ようやく、息の詰まるような時間が終わった。心も身体も限界で、私は一刻も早くこの別荘を離れたい。
けれど、その場を離れようとした、そのときだった。
空が裂けたように、雨が一気に落ちてくる。
京介はすばやく上着を脱いで梨乃の頭にかぶせ、翔と風斗と一緒に彼女を別荘の中へ急がせた。
私も遅れて中へ駆け込む。
髪から雫が滴っても、誰ひとりこちらを見ようとしない。
窓の外の雨脚を見た京介が、低い声で言う。
「まずいな。裏の斜面が危ない。この雨じゃ土砂が流れ込んでくるかもしれない。
早くここを出たほうがいい。
俺が車を回す。お前たちは梨乃を守れ」
言い終わるや否や、京介は土砂降りの中へ飛び出していった。
ほどなくして、外でクラクションが鳴る。
翔と風斗は目を見交わすと、振り返りもせず、梨乃を守るようにして玄関へ駆け出した。
私もあとに続こうとした。
けれど、雨音の向こうから、京介の声が飛んできた。
「全員乗ったな。行くぞ」
次の瞬間、タイヤが泥水を大きくはね上げ、私の足元を汚した。
私はその場に立ち尽くしたまま、遠ざかっていくテールランプを見送る。
それから、自嘲するように小さく笑った。
……家の運転手に待機してもらっていて助かった。
今夜のうちにここを抜けるつもりで呼んでおいたのが、まさかこんな形で役に立つなんて。
私は別荘を離れ、家に戻って荷物をまとめ、そのまま空港へ向かった。
飛行機が滑走路を離れた瞬間、あの人たちとの縁も、ようやくそこで途切れたのだと思った。
到着して機内モードを解除した瞬間、通知が一気に流れ込んできた。
その中にあった速報で、あの別荘が土砂崩れに巻き込まれたことを知った。
グループチャットには、京介から立て続けにボイスメッセージが届いていた。
再生した途端、ひどく取り乱した声が耳に飛び込んでくる。
「千代は!?千代はどこにいるんだ!」