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置き去りにされた私が、君を置いていくまで
私・小暮ひより(こぐれ ひより)はいつも、人より少しだけ遅れてしまう。 幼なじみの鳴海朔(なるみ さく)と親友の瀬川汐里(せがわ しおり)は、そんな私とは正反対で、何をするにもせっかちだった。 一緒に食事をすれば、私がまだ半分も食べ終わらないうちに、二人は隣のゲームセンターへ行こうと言いだし、私を店に置いていく。 一緒に泳ぎに行ったときは、途中で足がつって助けを求めたのに、二人はとっくにプールから上がり、姿を消していた。 大学への入学手続きをする日、私がまだ入力画面すら開けずにいるうちに、二人は東央大学への入学手続を終えて、さっさと席を立った。 「ひよりは遅すぎるんだよ。汐里のためにライブのチケットを取らなきゃならないから、もう待っていられない。俺たちは東央大にしたから。間違えるなよ」 そう言い残すと、朔は汐里に手を引かれ、足早に出ていった。 あまりにも急いでいたせいで、私の言葉は二人の耳に届かなかった。 「私、東央大には行かないよ。だからもう、私を待たなくていい」
Chapters (1)
第1章
私・小暮ひより(こぐれ ひより)はいつも、人より少しだけ遅れてしまう。
幼なじみの鳴海朔(なるみ さく)と親友の瀬川汐里(せがわ しおり)は、そんな私とは正反対で、何をするにもせっかちだった。
一緒に食事をすれば、私がまだ半分も食べ終わらないうちに、二人は隣のゲームセンターへ行こうと言いだし、私を店に置いていく。
一緒に泳ぎに行ったときは、途中で足がつって助けを求めたのに、二人はとっくにプールから上がり、姿を消していた。
大学への入学手続きをする日、私がまだ入力画面すら開けずにいるうちに、二人は東央大学への入学手続を終えて、さっさと席を立った。
「ひよりは遅すぎるんだよ。汐里のためにライブのチケットを取らなきゃならないから、もう待っていられない。俺たちは東央大にしたから。間違えるなよ」
そう言い残すと、朔は汐里に手を引かれ、足早に出ていった。
あまりにも急いでいたせいで、私の言葉は二人の耳に届かなかった。
「私、東央大には行かないよ。だからもう、私を待たなくていい」
第1話
私は昔から、何をするにも人より少し遅かった。
ようやく南陵大学への入学手続きを終えて時計を見ると、手続き期限まで、あと1分しか残っていなかった。
もう進学先を変更することはできない。
これから4年間、朔とは簡単に会えないほど遠く離れて暮らすことになる。
そう思うと、胸の奥がひどく痛んだ。
落ち込んでいると、突然スマホが鳴った。
「ひより、まだ終わらないのかよ。何時だと思ってるんだ?クラス委員が6時から店を予約してるんだぞ。あとは俺たちだけなんだから、少しは急げないのか?」
電話越しに聞こえる朔の苛立った声にせかされ、私は慌てて立ち上がった。
勢い余って椅子の角で脚を擦りむいたが、確かめる余裕もなく外へ飛び出した。
それでも校門に着いたときには、タクシーはすでに走り去るところだった。
呆然と立ち尽くしていると、再び着信があった。
朔からの電話に出たはずなのに、聞こえてきたのは汐里の声だった。
「ごめんね、ひより。呼んでたタクシーが来ちゃって、待たせると追加料金がかかるって言われたの。私たちは先に行くから、ひよりも別の車で来て」
胸の奥が、少しずつ冷えていく。
まただ。
待っていると言いながら、二人はいつも、私が着くほんの少し前にいなくなる。
遊園地へ行ったときもそうだった。
山へ出かけたときも、同じだった。
本当に、あとわずかな時間さえ待てなかったのだろうか。
私には分からない。
ただ、喉の奥に何かがつかえ、口の中に苦いものが広がった。
「君、さっきの二人の友達だよね?」
声をかけられ、ぼんやりと顔を上げた。
校門の守衛が、プリクラを1枚差し出していた。
印字された日付は今日。そこには、寄り添って笑う朔と汐里が写っていた。
親密そうな二人を見つめていると、昨日、朔に言われた言葉がよみがえった。
「ひより、ずっとプリクラを撮りたいって言ってただろ。明日、手続きが終わったら一緒に撮りに行こう」
第2話
高校の3年間で、朔のほうから私を誘ってくれたのは、それが初めてだった。
うれしくて昨夜はなかなか眠れず、今朝は動画を見ながら、慣れないメイクまでした。
けれど朔は、進学先の手続きに付き合ってくれなかっただけでなく、私と交わした約束まで別の人と先に果たしていた。
悲しすぎて、言葉がひとつも出てこなかった。
私はその場に立ち尽くし、守衛の話を聞くしかなかった。
「あの二人、ずいぶん優秀なんだってね。そろって東央大へ進むらしいじゃないか。恋愛にかまけて勉強をおろそかにする子もいるのに、大したものだよ。見た目もお似合いだしな」
そこまで言うと、守衛は一度言葉を切り、私を上から下まで眺めた。
「君みたいな地味な子が、あの二人と友達だとは思わなかったよ」
いたたまれなさが一気に込み上げた。
私は曖昧に笑った。
「そうですね。私も、そう思います」
それだけ言い残し、タクシーで卒業祝いの食事会へ向かった。
朔が電話で言っていたこととは違い、個室に入ってみれば、まだ来ていないクラスメイトは大勢いた。
朔と汐里は部屋の隅でぴったり寄り添って座り、頭を寄せ合ってスマホをのぞき込み、ときおり笑いながらじゃれ合っていた。
「ひより、何を突っ立ってるの?座れば?」
誰かに声をかけられて、朔はようやく顔を上げた。
何事もなかったように私を手招きする。
「早く来いよ。面白いものがあるんだ」
いつもの癖で、足が勝手に朔のほうへ向かった。
腰を下ろした途端、クラス委員がからかうように笑った。
「朔たち、3年間ずっと3人でくっついてたよな。大学へ行っても、そのままなのか?」
私が選んだのは南陵大学だ。
もう同じではいられないと口にしかけたとき、朔が両腕を広げ、私と汐里の肩をそれぞれ抱いた。
「当たり前だろ。ひよりは何をするにも遅いし、お人よしだからな。俺と汐里が同じ大学にいなかったら、誰かにいじめられても言い返せないだろ」
汐里も笑って同調した。
「そうそう。ひよりったら、私たちに追いつくために、高3の1年間ずっと個別指導を受けてたんだって。ずいぶんお金もかかったみたい」
肩に回されていた朔の腕が、わずかにこわばった。
個室のあちこちから、小声でささやき合う声が聞こえてくる。
誰かが私を、朔にまとわりつく金魚のふんだと言っていた。
聞こえないふりをした。
この1年、大学へ進んでも朔と離れずに済むよう、毎日の睡眠を4時間未満に削って勉強してきた。
視力まで落ちたのに、最後に選んだのは、朔から遠く離れた大学だった。
そう考えると、胸が重く沈んだ。
そのとき、誰かが大声で尋ねた。
「朔、もう高校も卒業したんだから教えてくれよ。3人のうち、付き合ってるのは誰と誰で、余ってるのは誰なんだ?」
朔は一瞬固まり、反射的に私を見た。
たったそれだけで、部屋中がどっと沸いた。
「ほら、やっぱりひよりは隠れたお邪魔虫じゃん!」
「幼なじみでも、あとから現れた相手には勝てなかったか!」
「朔、汐里にはいつ告白したんだよ?」
第3話
顔が一気に熱くなった。
テーブルの下で、両手をきつく握り締めた。
私のいたたまれなさに気づいたのか、朔はグラスを乱暴にテーブルへ置いた。
「勝手なことを言うな。俺たち3人は、ただの友達だ」
「へえ、ただの友達ねえ」
クラス委員が、わざと語尾を引き延ばした。
汐里は慌てて両手を振った。
「もう、変なこと言わないで。うちの母、恋愛は大学に入ってからって厳しかったの。高校のうちは駄目だって」
汐里は否定したつもりなのだろう。けれど、その言い方では火に油を注ぐだけだった。
「何だ、汐里の家が厳しいから付き合えなかっただけか。それなら今こそ告白しろよ!」
「両思いなんだろ?朔、怖じ気づくなって!」
はやし立てる声は、どんどん大きくなる。
けれど朔は、いつまでたっても口を開かなかった。
「ひより、朔が告白するっていうのに、どうしてそんな顔してるの?」
頭の中が真っ白になった。
返事に窮していると、汐里と親しい女子が口を挟んだ。
「本当の友達なら、朔が誰と付き合っても怒ったりしないよね。そうでしょ、ひより?」
そう言われては、皆の前でうなずくしかなかった。
私はどうにか笑みをつくり、うなずいた。
「うん。怒らないよ」
まるで私の返事を待っていたかのように、朔が不機嫌そうに口を開いた。
「人前で告白する趣味はない」
汐里は明らかに落胆していたが、すぐに屈託のない笑顔をつくった。
「そうだよ。私たち3人はただの友達なんだから、もう変なこと言わないで。ほら、早く注文しよう」
二人が話題を変えてしまったため、皆は残念そうに席へ戻った。
注文用のタブレットが私のところへ回ってきた。
手を伸ばした瞬間、汐里が横から取り上げ、笑顔で目配せした。
「ひよりは選ぶのに時間がかかるから、私と朔で決めてあげる。好きなものなら、二人ともちゃんと知ってるし」
反論する隙も与えられないまま、二人は顔を寄せ合って料理を選び始めた。
「激辛チキン、スパイシーシーフード、それから白身魚の香草焼き」
朔は3品挙げると、私を振り返った。
「俺たち3人が好きなものを、ひとつずつな」
そう言って、タブレットを次の人へ渡してしまった。
私は湿疹のできた手を見下ろし、苦い思いを押し隠してうなずいた。
白身魚の料理は好きだった。
けれど医師からは、湿疹が治まるまで魚介類も刺激物も避けるように言われている。
あの日、病院についてきてほしいと朔に頼んだ。
私が家を出るのが少し遅れただけで、朔は汐里とビリヤードへ行ってしまった。
どうして待ってくれなかったのかと尋ねると、朔は悪びれもせずに言った。
「本当にひどい病気なら、もっと急ぐだろ。そんなにのんびりしてるんだから、大したことないってことだ」
結局、その日は受付から診察まで、すべて一人で済ませた。
「すごい!朔と汐里、MIRAのライブチケットが取れたの?」
クラスメイトの歓声で、記憶から引き戻された。
皆の言葉につられてSNSを開き、私は目を疑った。
前後して投稿された2枚の写真には、同じ公演のチケットが1枚ずつ写っていた。
初めてのライブは一緒に行こうと約束していた朔は、私の分だけ取っていなかった。
第4話
スマホを見つめたまま固まっていると、朔が私の腕を軽く小突いた。
どこか気まずそうな声だった。
「学校の近くは回線が不安定で、一度に1枚しか取れなかったんだ。ひよりも行きたいなら、あとで探してやるよ。ただ、俺たちとは席が離れるけどな」
汐里も慌てて謝った。
「ひより、本当にごめんね。行きたいなら、私のチケットを譲るよ」
「駄目だ!」
朔は即座に遮り、不満げに私を見た。
「汐里は何年もMIRAのファンなんだぞ。譲る必要はない。ひよりも、少しは空気を読めよ」
私は何も言っていない。
それなのに、なぜか私だけがわがまま扱いされた。
さすがに腹が立った。
「私、最初から行くつもりないよ」
嘘ではない。
MIRAを好きになって10年になるが、公演日は大学の入学式前日で、会場は東央にある。
南陵大学からは遠すぎて、とても行けない。
本当のことを言ったのに、朔は信じなかった。
「チケットは探してやるって言ってるだろ。何をすねてるんだよ。俺と汐里がいなかったら、お前みたいにのろまで方向音痴なやつは、チケットを持ってても遅刻して見逃すに決まってる」
もう10年以上、一緒にいる。
朔にここまで言われたのは初めてで、たちまち目の奥が熱くなった。
「ひより……」
「失礼します、お料理をお持ちしました」
店員の声が、朔の言葉を遮った。
朔は気まずそうに私を見ると、白身魚の皿を黙って私の前に置いた。
けれど、アレルギーが出ている私は、最後まで一口も食べなかった。
朔が人目を盗んで骨をきれいに外し、私の取り皿へ置いた魚にも、気づかないふりをした。
「朔、休みに予定がないなら、皆で旅行しない?」
解散するとき、クラス委員がふいに声をかけた。
朔は一瞬固まり、気まずそうに唇を結んだ。
汐里も困ったように笑う。
「ごめん。私と朔、明日から南島へ行くことになってるの……」
第5話
朔が後ろめたそうに言い訳する声が聞こえた。
「ひより、勘違いするなよ。お前は海が苦手だから言わなかっただけで、仲間外れにするつもりじゃなかったんだ。
どうせ俺たちは東央大で一緒なんだし、冬休みになったら、お前が行きたいところへどこでも付き合う。汐里抜きでもいいから」
顔を上げて朔を見た。
その目は、これからも3人でいられると信じ切っているように輝いていた。
喉元まで出かかっていた言葉を、もうのみ込めなかった。
「朔、私、東央大には――」
「朔、今日撮ったプリクラ、見てない?守衛さんに見せたとき、落としたのかな……」
汐里の声が、私の言葉を遮った。
バッグからプリクラを出すより先に、汐里は朔の腕を引いて立ち去った。
しばらくして、朔からLINEが届いた。
【プリクラは、お前を待ってる間に汐里が撮ろうと言いだしただけだ。今度、二人で撮ろう】
【もう遅いからタクシーを呼んでおいた。配車情報を送る。乗ったら連絡しろ】
迷った末、私はプリクラをクラス委員に預け、朔へ渡してほしいと頼んだ。
そして、朔のアカウントをブロックした。
帰りのタクシーの中で、最初に登る山へ向かう切符を取った。
高1のころ、朔と約束したことがある。
二人とも志望大学に合格できたら、大学入学までの春休みを使って5つの名峰を巡ろう、と。
朔は忘れていたが、私は覚えていた。
彼が果たさないなら、一人で約束の場所へ行けばいい。
そう決めて、これで吹っ切れたつもりだった。
けれど荷造りの途中、朔にもらったウサギのチャームを見つけると、涙が止まらなくなった。
それは小学校に入学した年、朔がくれたものだった。
あの春、両家で海へ出かけた。
波を追いかけていた朔が海に落ちたとき、近くに大人はいなかった。
私は朔を助けようとして溺れ、3日間も意識が戻らなかった。
一命は取り留めたものの、医師からは、心身の発達がほかの子より少し遅れる可能性があると言われた。
当時の私たちには、その「少し遅れる」という言葉の意味が分からなかった。
歩くのが遅くなるだけだと思っていた。
幼い朔は私の手を握り、こう言った。
「ひより、怖がらなくていいよ。ひよりが遅いなら、俺が待つから」
朔は実際、それから高校1年になるまで、ずっと私を待ってくれた。
高校の入学式の日、私は初めて朔より先に学校へ着いた。
ところが朔は、予定より5分遅れて現れた。
朔は、汐里と同じタクシーから降りてきた。
途中でバスに乗り遅れた汐里を見かけ、同じ高校だからタクシーに同乗させただけだと、朔は説明した。
それ以来、朔が私を待つことはなくなった。
代わりに、私が必死で追いかけるようになった。
海で溺れたことがあるのに、朔は今も海が好きだった。
だから私も、恐怖を押し殺して泳ぎを習った。
けれど溺れかけたとき、朔は汐里と先に帰ってしまった。
あの日から、もう朔を追いかけるのはやめようと決めていた。
一睡もできないまま朝を迎えた。
家を出ると、玄関の前に朔が立っていた。
目の縁を赤くし、責めるような、それでいて寂しそうな声で言った。
「ひより、俺をブロックしただろ。昨日、お前の分も南島行きのチケットを取ったんだ。海は怖くても、南島にはほかにも楽しめる場所があると思って」
私は少し驚いたが、困ったように笑って、自分のチケットの画面を見せた。
朔の顔がこわばった。
かつて交わした約束を思い出したのだろう。
長いこと迷ったあと、朔は覚悟を決めたように唇をかんだ。
「俺も一緒に行く。ブロックを解除して、駅で待ってろ」
私の返事も聞かず、慌ただしく走り去っていった。
その表情があまりにも真剣だったから、私はまた朔を信じてしまった。
ブロックを解除し、改札の前で1時間半待った。
けれど目にしたのは、汐里がSNSに投稿した写真だった。
朔と汐里が並んで、南島行きの飛行機に乗り込んでいた。
私の中に残っていた朔への最後の未練が、その瞬間、きれいに消えた。
私は改札を抜けた。
これからは、私は私の山を登り、朔は朔の海を見ればいい。
それぞれの道を行けばいい。