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彼氏と親友に裏切られた私、すべてを捨てて自由になる
私・川口暁葉(かわぐち あきは)は親友が一人いる。その名は小柳知悠(こやなぎ ちはる)だ。 彼女はまるで物乞いみたいに、毎日のように私の彼氏・陸奥辰哉(むつ たつや)にいろいろとねだっていた。 「辰哉さん、私と暁葉、どっちが可愛い?」 彼は答えた。 「君のほうが可愛い」 翌日、辰哉は私の化粧品をすべて処分し、勝手にモデル事務所からのオファーまで断っていた。 「辰哉さん、あなたが結婚するために買った家に、私の名前も入れてくれる?」 彼は答えた。 「いいよ」 1週間後、新しい登記識別情報通知が届いた。 そこにこう記されていた。 【共有者陸奥辰哉、持分2分の1。共有者小柳知悠、持分2分の1】 知悠は何かを言うたびに、私が大切にしていたものを一つずつ奪っていった。 私はついに我慢の限界に達し、別れると言って騒いだ。 辰哉は根気強く私をなだめた。 「考えすぎだよ。知悠は失恋したばかりで不安なんだ。俺はただ、彼女を拒むのがどうしても忍びないだけなんだ」 そう言って、彼は婚約指輪を私の指にはめ、「愛しているのは君だけだ」と固く誓った。 私の誕生日パーティーの日、知悠はまた口を開いた。 「辰哉、私たちって今、どんな関係なの?」 彼は答えた。 「君が決めていいよ」 翌日、SNSのタイムラインに流れてきた二人の婚姻届を見た瞬間、私は完全に諦めた。
Chapters (1)
第1章
私・川口暁葉(かわぐち あきは)は親友が一人いる。その名は小柳知悠(こやなぎ ちはる)だ。
彼女はまるで物乞いみたいに、毎日のように私の彼氏・陸奥辰哉(むつ たつや)にいろいろとねだっていた。
「辰哉さん、私と暁葉、どっちが可愛い?」
彼は答えた。
「君のほうが可愛い」
翌日、辰哉は私の化粧品をすべて処分し、勝手にモデル事務所からのオファーまで断っていた。
「辰哉さん、あなたが結婚するために買った家に、私の名前も入れてくれる?」
彼は答えた。
「いいよ」
1週間後、新しい登記識別情報通知が届いた。
そこにこう記されていた。
【共有者陸奥辰哉、持分2分の1。共有者小柳知悠、持分2分の1】
知悠は何かを言うたびに、私が大切にしていたものを一つずつ奪っていった。
私はついに我慢の限界に達し、別れると言って騒いだ。
辰哉は根気強く私をなだめた。
「考えすぎだよ。知悠は失恋したばかりで不安なんだ。俺はただ、彼女を拒むのがどうしても忍びないだけなんだ」
そう言って、彼は婚約指輪を私の指にはめ、「愛しているのは君だけだ」と固く誓った。
私の誕生日パーティーの日、知悠はまた口を開いた。
「辰哉、私たちって今、どんな関係なの?」
彼は答えた。
「君が決めていいよ」
翌日、SNSのタイムラインに流れてきた二人の婚姻届を見た瞬間、私は完全に諦めた。
第1話
指先を震わせながら、私は辰哉と知悠の名前が並んだ婚姻届の写真を、何度も拡大しては縮小した。
無理やり現実を受け入れようと、何度も何度も自分に言い聞かせた。
そんな私を、知悠の投稿文がまた深く傷つけた。
【夫婦になりました。誰かさん、わざわざ人の家庭に入り込もうとするのは、もうやめてください】
その下には、たくさんの共通の友人からのコメントが並んでいた。
【さすが辰哉さん、恋愛と結婚は別物だよね。結婚するなら、奥さんみたいに優しくて家庭的な人を選ぶべき!】
【2人が婚姻届にサインして誓い合った時、感動して泣いちゃったよ。本当にお似合いの夫婦!】
涙が頬を伝って落ち、溶けた蝋のように熱く、痛かった。
私は自分がまるで笑いものにされたように感じた。
辰哉と4年間付き合ってきたのに、最後には余計な存在になってしまった。
私は2人のSNS投稿に「いいね」を押した。
そしてコメント欄に【結婚おめでとう】と打ち込んだ。
するとすぐに、2人から同時にビデオ通話がかかってきた。
私は出なかった。
代わりに、他の人からかかってきた電話を取った。
以前、辰哉が断ったモデル事務所のマネージャーからで、もう一度、私をスカウトしたいという連絡だった。
「川口さん、もう一つ確認したいことがあります。この仕事は出張が多くなりますが、大丈夫ですか?」
私は迷わず答えた。「大丈夫です」
……
最初の頃、辰哉は私がモデルになることを心から応援してくれていた。
けれど、知悠の言葉を何度も聞かされるうちに、彼の態度は変わっていった。
「知悠が言ってたんだ。この業界は泥沼みたいなもので、一度足を踏み入れたら抜け出せないって。
それに、君は特に条件がいいわけでもないし、考えも甘いところがあるから、誰かに騙されないか心配なんだ」
知悠も私に言った。
「辰哉さんの機嫌をちゃんと取れば、何だって手に入るよ」
以前の私は、辰哉との関係を何より大切にしていた。
たとえ彼が差し出したものが、棘だらけの蔓だったとしても、私は必死に掴み続けていた。
でも今は、自分自身が大きな木になりたい。
……
そう決めた瞬間、私はすぐに荷造りを始めた。
クローゼットの半分は、もう空になっていた。
冬服はとっくに辰哉がまとめて、結婚するために買った新居へ運んでいた。
「今年の初雪が降る前には、必ず君を家に迎えるから」
そう言って、早めに準備しておくと話していた。
スマホの画面には、辰哉の名前が何度も表示されていた。
私は深く息を吸い、もう逃げないと決めて電話に出た。
「もう騒ぐのはやめろ。早くコメントを消してくれ。俺が彼女と婚姻届を出したことで、君が傷ついているのは分かってる。でも、みんなの前で彼女に嫌味を言う必要はないだろ」
辰哉の言葉は、最初から最後まで知悠の味方だった。
4年間一緒にいた私が、今どれほど惨めな思いをしているのかなんて、まるで気にしていない。
私は静かに言った。
「心から祝福してるよ」
彼はしばらく黙った後、深いため息をついた。
「俺が彼女と婚姻届を出したのは、ただの冗談みたいなものだ。彼女に俺たちの関係を決めさせるって約束したから。
ただの紙切れだ。何の意味もない。2、3日経って知悠の気が済んだら、離婚届を出せばいいだけだ」
「結婚っていう大事なことを、冗談で済ませるの?陸奥辰哉、あなたは今まで一度でも私を尊重したことがあるの?」
言葉にした瞬間、自分の声が震えていることに気づいた。
喉の奥が熱いもので塞がれたようで、息をするのも苦しかった。
「もう私を探さないで。あなたが彼女と婚姻届を出したその瞬間から、私たちは終わったの」
私は電話を切った。
そして、思い出が詰まった部屋を、長い間ぼんやりと見つめていた。
新居へ荷物を取りに向かう途中、辰哉からメッセージが届いた。
【怒りに任せてそんなこと言うなよ。プレゼントを選んだ。夜、家に帰ったら渡す】
私は返信せず、彼からのメッセージを通知オフにした。
新居のドアを開けた瞬間、私は言葉を失った。
目の前の光景を見て、ここが本当に自分の知っている場所なのか分からなくなった。
私が時間をかけて選んだ家具、辰哉と一緒に飾ったフォトウォール、2人で旅行先から持ち帰った冷蔵庫マグネットまで、すべて消えていた。
部屋の内装は、知悠が好きなクリーム色を基調としたものに変わっていた。
主寝室には、いつの間にか大きなツーショット写真が飾られていた。
辰哉は知悠の腰を抱き、2人は眩しいほど幸せそうに笑っていた。
私は苦笑した。
辰哉が変えたのは、不動産登記の名義だけじゃない。私たちが約束していた未来まで、全部変えてしまったんだ。
家を出る時、私は新居の鍵と婚約指輪をテーブルの上に置いた。
そして、辰哉に関わるすべてと、完全に別れを告げた。
第2話
深夜、私はすべての荷物をまとめた。
もともと少し狭く感じていた部屋が、急に広くなったように思えた。
恋人だった頃、辰哉との思い出は、ひとつひとつ大切にしまっていた。
2人の肩に舞い落ちた楓の葉、彼が海辺で何気なく拾って、私に渡してくれた貝殻、一緒に買い物をした時のレシート……
昔の彼は私のことを「ゴミ収集家」だと笑って、「何でも取っておくよな」と言っていた。
私は顔をそむけ、ふんと鼻を鳴らした。
「私たちが年を取った時、こういう思い出がどれだけ大切か分かるんだから!」
今、私が宝物のように大切にしていた思い出は、すべてゴミ箱の中へ消えた。
辰哉はずっと帰ってこなかった。
私は知悠のSNSで、彼の姿を見つけた。
クリーム色のシーツの上で、彼女と辰哉は指を絡め合っていた。
投稿文には、たった一言。
【新婚初夜】
私はそのまま指を下へ滑らせた。まるで、自分には関係のない投稿を眺めているかのように。
翌日の昼、私は実家へ戻った。
自分の決意を伝えるためだった。
ドアを開けた瞬間、部屋の中に響いていた笑い声がぴたりと止まった。
母は引きつった笑みを浮かべ、慌てて私を部屋の隅へ連れて行った。
「どうして来たの?
あなたたちのことは知悠から聞いたよ。最終的に辰哉が誰を選んだとしても、あの子は私の婿だし、私たちは家族だからね」
真夏だというのに、私の心は凍りついたように冷たかった。
一瞬、本当の娘がどちらなのか分からなくなった。
母は私を食卓へ連れて行き、騒ぐなと言わんばかりの目で私を牽制した。
食卓では、辰哉がずっと知悠のために料理を取り分けていた。
彼女の前の器は、料理で小さな山のようになっていた。
知悠が口を開く。
「おばさん、辰哉は本当に私に優しくて、何でも聞いてくれるんです。婚姻届を出した時、私が聞いたんです。『辰哉、これからあなたの財産は誰に渡すの?』って。
そしたら彼、結婚前の財産も結婚後の財産も全部私に渡すって言って、すぐに財産の公正証書まで作りに連れて行ってくれましたわ」
辰哉は、無表情で座っている私を見た。
「知悠は金融を勉強しているから、お金の管理を任せるなら彼女が一番安心なんだ」
母は私の手を取り、4人でグラスを合わせた。
「あなたたちがこんなに幸せそうで、おばさんも嬉しいよ」
私は表情を曇らせ、手にしていたグラスをテーブルへ強く置いた。
「ごちそうさま」
そう言って立ち上がり、寝室へ戻った。
「暁葉、私のこと怒ってるのかな?全部私のせいなの……」
知悠の甘ったるい声が、ドア越しに聞こえてきた。
すると、母と辰哉が彼女を慰め始めた。
「あの子は昔から演技だけは上手いんだから。知悠、騙されちゃだめだよ」
「君のせいじゃない。彼女が勝手に意地を張ってるだけだ」
寝室のドアが開き、知悠が辰哉の手を引いて入ってきた。
「辰哉、子どもの頃、私と暁葉は毎日この部屋にこもっておままごとしてたんだよ。夜も家に帰らず、無理やり暁葉を抱きしめて一緒に寝たこともあったわ」
そう言って、彼女はクローゼットの上に置かれた木箱を指差した。
「中には、私たちが子どもの頃に遊んでいたおもちゃが入ってるの。
暁葉、下ろして見てもいい?」
私は冷たい声で言った。「必要ないでしょ。仲のいい姉妹のふりなんて」
辰哉はそれを聞くと、つま先立ちになって箱を下ろそうとした。
「ここには知悠の思い出も入ってるんだ。君には彼女に見せないようにする権利はない」
知悠も手を伸ばし、箱を支えた。
けれど、箱がもう少しで下りるという瞬間。
彼女はそっと手の力を緩めた。
次の瞬間、何の抵抗もできないまま、箱はまっすぐ私の頭上へ落ちてきた。
頭のてっぺんに激しい痛みが走った。
それなのに、先に泣き出したのは知悠だった。
辰哉は慌てて彼女の様子を確認した。
しばらくして、ようやく我に返った彼は、険しい顔で私を見た。
「どうして手を貸さなかったんだ?どうして避けなかった?知悠をすごく怖がらせただろ」
彼の責める言葉は、あまりにも理不尽だった。
私は額を押さえていた手をゆっくり離した。
生温かい血が、頬を伝って流れ落ちる。
辰哉は一瞬、言葉を失った。
そして、隣にいる知悠へ素早く視線を向けた後、ようやく私に少しだけ柔らかな声をかけた。
「病院へ連れて行く」
第3話
知悠は私より先に助手席へ乗り込んだ。
私は何も言わず、後部座席のドアを開けた。
そこには真っ赤なバラが一面に散らばっていた。
知悠は振り返り、笑顔で言った。
「辰哉に999本のバラを贈ってもいいか聞いたら、本当に贈ってくれたの。多すぎて、後部座席だけじゃ全然入りきらないんだよね」
傷口はまだズキズキと痛んでいた。
私はドアに手をつき、どうにか立っている状態だった。
昔、私も辰哉にバラが欲しいと言ったことがある。
けれど彼は、きっぱりと断った。
「そんなの、花屋が客をその気にさせるための罠だけだろう。バラなんてただの花だ。そんなものに騙されるのは、君たちみたいな女の子だけだよ」
そう言っていた彼が、知悠のためなら、自分から喜んでその「罠」に飛び込んでいった。
辰哉は仕方なさそうに後部座席のスペースを少しだけ空け、私を乗せた。
それからすぐ助手席へ回り、知悠のシートベルトを締めてやり、座席の角度まで快適な位置に調整した。
車は走り出した。
すると知悠がバックミラーを見て、手を上げて辰哉の肩を強く叩いた。
「止めて!」
急ブレーキがかかる。
予想していなかった私は、また助手席の背もたれに頭を打ちつけた。
耳の奥が一瞬、キーンと鳴った。
「999本のバラ、一本も減らしちゃダメだよね、辰哉」
辰哉は「うん」と答えた。
「じゃあ、あなたと暁葉で落ちたバラを拾って。一本も残さないでね。そもそも、あなたたちが病院に行くって騒いだせいなんだから」
「分かった」辰哉は甘やかすような声で言った。「君は車の中で大人しく待ってて」
そして、私の側のドアを開けた。
「降りろ。早く拾い終われば、その分早く病院に行けるから」
私は車を降り、腰をかがめてバラを拾い始めた。
何度も、何度も、バラの棘が指に刺さった。
それなのに、不思議なくらい痛みを感じなかった。
大きな花束を抱えて車に戻ると、知悠は私を一瞬見ただけで、何も言わなかった。
車が走り出してしばらくすると、知悠が突然鼻を押さえ、えずき始めた。
「辰哉……気持ち悪い……少し止めて」
辰哉はすぐにウインカーを出し、路肩へ車を停めた。
知悠は逃げるように車を降りると、道端にしゃがみ込み、胸元を押さえながら苦しそうにしていた。
辰哉は当たり前のように彼女の背中をさすり、呼吸を整えさせ、水を渡した。
今では、彼女が何も言わなくても、彼のほうから先回りして、慣れた手つきで何もかも世話をしている。
私は顔を背け、もう見ないことにした。
「車の中の血の匂いが本当に無理……耐えられないくらい気持ち悪い。私、子どもの頃から血を見ると気分が悪くなってたの。まさか大人になってもまた気分が悪くなるなんて。
辰哉……なんか、目の前が真っ暗……」
知悠は力が抜けたように、辰哉の胸へ倒れ込んだ。
辰哉は彼女を抱き上げ、ドアを開けると、私に向かって歯を食いしばるように言った。
「降りろ。彼女が血を見るのが苦手だって知ってるのに、いつまでも血を見せて苦しませるなんて、どうしてそんなに分別がないんだ?
それに、君も大したことなさそうだし、病院に行く必要はないだろ」
私は車を降り、道端に立った。
すると、車の窓がゆっくり下がった。
知悠はわざと私の目の前で、辰哉の胸をつねった。
「窓を開けて風を通したら、少し楽になった。辰哉……食欲がなくて。中心街の老舗のケーキが食べたいんだけど……いい?」
辰哉は彼女の言葉を遮った。
「これからは『いい?』とか『できる?』なんて聞かなくていい。君が望むなら、俺が全部叶えるから」
車はそのまま走り去っていった。
私は振り返り、別の方向へ歩き出した。
そちらのほうがタクシーを拾いやすかったから。
病院に着くと、医師は私を詳しく診察した後、表情を曇らせた。
「傷が深いですね。縫合が必要です。跡が残る可能性があります」
私は頷こうとしたが、首がどんどん硬くなっていくのを感じた。
次第に吐き気が込み上げ、激しいめまいに襲われる。
私はその場に崩れるように椅子へ座り込んだ。
医師の表情が一瞬で険しくなった。
「川口さん、動かないでください!その症状を見る限り、頸椎を痛めている可能性があります。まず検査を受けましょう。頸椎骨折かどうか確認します」
第4話
――頸椎骨折?
その言葉を聞いた瞬間、私の胸の奥で警報が鳴り響いた。
昔、父も事故に遭い、頸椎骨折が悪化したことで、最後には寝たきりになった。
「今のあなたの状態なら、ご家族を呼んだほうがいいです。車椅子を借りないと、あちこち移動するのは難しいでしょう」
医師は切迫した口調で言った。
私は完全に途方に暮れた。
結局、母に電話をかけることにした。
5回目の呼び出しで、ようやく電話がつながった。
「お母さん、私、病院にいるの。来てくれる?」
「暁葉、俺だよ」
電話の向こうから聞こえてきたのは、辰哉の声だった。
「おばさんは今、知悠の嫁入り道具を準備していて忙しいんだ。何かあったなら俺に言ってくれ。
血はもう止まったんじゃないか?それなのに、どうしてまだ誰かに付き添ってもらう必要があるんだ?」
「嫁入り道具……?」私は吐き気を必死にこらえながら尋ねた。「あなたたち、結婚するの?」
「さっき帰る途中で、知悠が俺に結婚式を挙げてもいいかって聞いてきたんだ。彼女は元彼と別れてから、もう結婚しないって決めていた。
でも、一度でいいから結婚式を体験してみたいって言ってたんだ。彼女に後悔をさせたくなかったから、承諾した。
知悠は、君が唯一の花嫁介添人になってくれるって言ってる。事前に流れを覚えておけば、俺たちが結婚式を挙げる時もスムーズだろ」
「でもあの嫁入り道具は……お父さんが私のために用意してくれたものなのに。どうして勝手に他の人に……」
そこまで言ったところで、辰哉に遮られた。
「知悠は他人じゃないだろ。彼女も君の一番大事な親友なんだ。そのうち同じものを君にも用意するよ。君の分がなくなるわけじゃない」
そばで聞いていた医師が、ついに我慢できなくなって、私の手からスマホを取り上げた。
「私は担当医です。患者さんは頸椎を損傷していて、今はまったく動けない状態です。すぐに誰か来てもらってください!
これ以上対応が遅れれば、取り返しのつかない事態になりかねません!」
電話の向こうが一瞬静まり返った。
そして次の瞬間、かすかな笑い声が聞こえた。
「暁葉、この数日ずっと騒いで、どんどんやり方がひどくなってるな。今度は詐欺師まで雇ったのか?
約束するよ。知悠との結婚式が終わったら、すぐに離婚届を出す。そのあと、君と結婚する。これで満足か?
今は忙しいんだ。もう俺を困らせるな」
辰哉はそう言って、電話を切った。
もう彼のことは吹っ切ったはずだったのに、その言葉を聞いた瞬間、心臓を丸ごとえぐり取られたような痛みが走った。
彼は私の苦しみを認めない。
私が一人の人間で、傷ついたり、悲しんだりすることすら認めてくれない。
私が涙を流せば、彼はいつも私が騒いでいると言う。
私はまだ痛む胸元に手を当て、ゆっくりと深呼吸した。
「先生……すみません。介護スタッフを呼んでもらえますか」
検査室で、医師にアクセサリーをすべて外すよう言われた。
私は胸元の銀のペンダントに触れ、辰哉がそれを私の前に差し出してくれた日のことを思い出した――
「気に入った?俺が手作りしたんだ。心臓に一番近い場所で、俺の代わりにずっと君のそばにいてくれるように」
私は彼の手にできた水ぶくれを痛々しく見つめながら、何度もうなずいた。
「好きよ、とっても」
それ以来、一度も外したことはなかった。
でも今回は、迷うことなくそのペンダントを足元のゴミ箱へ投げ入れた。
……
その瞬間、辰哉の心臓が激しく鼓動し、胸の奥に、言いようのない不安が湧き上がる。
しかし、その感覚はすぐに押し込めた。
彼は暁葉がまた駄々をこねているだけだと思い込んだ。
そして車の向きを変え、病院へ向かって、彼女のくだらない芝居を、自分の手で暴くつもりだった。
次の瞬間、車体の側面に、激しい衝撃が走った。
全身を引き裂くような痛みが襲いかかる。
辰哉は必死にもがきながらスマホを取り出し、暁葉に電話をかけた。
しかし、聞こえてきたのは冷たいアナウンスだった。
「おかけになった電話番号は、現在使われておりません……」