卒業旅行で、恋も終わりました

GoodNovel new Completed

大学の卒業旅行で、私――友崎柚葉(ともざき ゆずは)は、彼氏の白井悠(しらい ゆう)、親友の雨宮夕依(あまみや ゆい)と3人で、海外の観光地・リンファ山を訪れていた。 山麓に広がるセイラン湖のほとりを歩いていると、年配の夫婦がにこやかに声をかけてきた。 たどたどしい英語で、せっかくだから写真を撮ったらどうかと言っているらしい。 老婦人は悠と夕依を湖畔の手すりの前に並ばせ、2人の頭が寄るように立ち位置まで直した。 それから私に手招きして、2人を撮るよう促した。 「ほら、2人を撮ってあげて。今、ちょうど光がいいから」 私はスマホを構えた。 画面の中では、悠と夕依がまるで恋人同士みたいに並んで笑っていた。 そのままシャッターを切った。 悠は何も言わなかった。 夕依は私からスマホを受け取って写真を確認すると、楽しそうに笑った。 「いいじゃん。もう一枚お願い」 そのあとホテルにチェックインすると、フロントスタッフは予約内容を確認し、悠と夕依に2人部屋のカードキーを渡した。 私に渡されたのは、1人部屋のカードキーだった。 「お客様のお部屋は、3階の一番奥でございます」 「あの……彼と付き合ってるの、私なんですけど……」 フロントスタッフは一瞬戸惑ったあと、すぐに視線を落とし、予約内容を確認し直した。 自分の部屋に戻り、1人でバスタブに浸かっていると、壁の向こうから楽しそうな笑い声が聞こえてきた。 この3日間で、悠と夕依が恋人同士だと勘違いされたのは4回。 私だけが邪魔者みたいに扱われたのは7回。 そして、2人の写真ばかり撮らされたのは11回。 それなのに、悠は一度だって「違う」と言わなかった。 私はバスローブのままベッドに腰を下ろし、スマホで帰国便を明後日に変更した。 この卒業旅行を、あの山の頂上で終わらせる必要なんてない。

Chapters (1)

第1章

大学の卒業旅行で、私――友崎柚葉(ともざき ゆずは)は、彼氏の白井悠(しらい ゆう)、親友の雨宮夕依(あまみや ゆい)と3人で、海外の観光地・リンファ山を訪れていた。 山麓に広がるセイラン湖のほとりを歩いていると、年配の夫婦がにこやかに声をかけてきた。 たどたどしい英語で、せっかくだから写真を撮ったらどうかと言っているらしい。 老婦人は悠と夕依を湖畔の手すりの前に並ばせ、2人の頭が寄るように立ち位置まで直した。 それから私に手招きして、2人を撮るよう促した。 「ほら、2人を撮ってあげて。今、ちょうど光がいいから」 私はスマホを構えた。 画面の中では、悠と夕依がまるで恋人同士みたいに並んで笑っていた。 そのままシャッターを切った。 悠は何も言わなかった。 夕依は私からスマホを受け取って写真を確認すると、楽しそうに笑った。 「いいじゃん。もう一枚お願い」 そのあとホテルにチェックインすると、フロントスタッフは予約内容を確認し、悠と夕依に2人部屋のカードキーを渡した。 私に渡されたのは、1人部屋のカードキーだった。 「お客様のお部屋は、3階の一番奥でございます」 「あの……彼と付き合ってるの、私なんですけど……」 フロントスタッフは一瞬戸惑ったあと、すぐに視線を落とし、予約内容を確認し直した。 自分の部屋に戻り、1人でバスタブに浸かっていると、壁の向こうから楽しそうな笑い声が聞こえてきた。 この3日間で、悠と夕依が恋人同士だと勘違いされたのは4回。 私だけが邪魔者みたいに扱われたのは7回。 そして、2人の写真ばかり撮らされたのは11回。 それなのに、悠は一度だって「違う」と言わなかった。 私はバスローブのままベッドに腰を下ろし、スマホで帰国便を明後日に変更した。 この卒業旅行を、あの山の頂上で終わらせる必要なんてない。 第1話 「柚葉、私と悠の写真も撮ってくれない?さっき逆光で撮ってくれたとき、角度すごくよかったじゃん」 そう言って、夕依がスマホを差し出してきた。したばかりのフレンチネイルが朝日を受け、きらりと光った。 私は何も言わずにスマホを受け取った。 今日だけで、もう3回目だった。 ホテルからセイランの泉までは、車で40分ほどだった。 その間、夕依と悠は後部座席に並んで座り、私は1人で助手席にいた。 途中、運転手が現地の言葉で私に話しかけてきた。 「お連れの2人、ずいぶん仲がいいですね」 言っていることはわかったけれど、私は曖昧に笑っただけで、その言葉を2人に訳すことはしなかった。 「もうちょっと左。うん、そこ。悠は動かないで、そのまま。今の角度、光がちょうどきれいに入ってるから」 夕依は悠の肩に手を置き、少し首をかしげながらレンズに向かって笑った。 悠は一度だけ私を見た。 何か言いかけるように唇を動かしたけれど、結局何も言わなかった。 私はそのままシャッターを切り、スマホを夕依に返した。 夕依は画面を何度かスワイプして写真を確認すると、少し眉をひそめた。 「柚葉、これ、ちょっと顎が丸く見えない?」 「もう1枚いい?今度はもう少し下からお願い。そっちのほうが顔、小さく見えるから」 私は言われるまま、その場にしゃがんだ。 その拍子に膝を石畳の石の角にぶつけ、じんと鈍い痛みが走った。 そのとき、画面の向こうで悠がようやく口を開いた。 「夕依、もうそのくらいでいいだろ」 夕依は甘えるように悠の腕をぽんと叩いた。 「もう1枚だけ。これで最後だから」 それから夕依は私を振り返り、何事もなかったように笑った。 「柚葉、気にしないでね。写真撮るの上手いから、ついお願いしちゃうだけ」 「ううん、平気」 私はそれだけ返した。 この3日間、私は何かあるたびに「平気」と口にしていた。 2人には先に行ってもらって、荷物は私が引き受けた。 注文も先に任せて、自分は何でもいいと言った。 部屋だって1つでいい、自分はソファで寝るからと譲った。 そんな「平気」を、少なくとも50回は口にしていたと思う。 昼は近くの料理店に入った。 料理が運ばれてくると、店員は当然のように恋人向けのペアコースを悠と夕依の間に置き、私の前には1人分のスパゲッティを置いた。 夕依はそんなことにも気づかず、悠と1杯のスープを分け合い、1本のスプーンを何度も渡し合っていた。 私は黙ってスパゲッティを箸でつまみ、口に運んだ。 何度噛んでも、味はほとんど感じなかった。 午後はリンファ廟に立ち寄った。 そこで引いたくじが「大吉」だとわかると、夕依は飛び上がって喜び、その勢いのまま悠の腕に抱きついた。 「悠、見て!大吉だって!しかも縁の欄に、『良縁はすぐそばにあり。遠くに求める必要なし』だって!」 そこまで読み上げて、夕依はようやく気づいたように私を見た。 悠の腕に絡めていた手を少し緩め、ぺろりと舌を出した。 「あはは、柚葉、別にそういう意味じゃないからね。ちょっと嬉しくて、はしゃいじゃっただけ」 悠は少し間を置いてから、夕依の手を自分の腕から外した。 私は黙って、手元のくじに目を落とした。 そこに書かれていたのは「小吉」だった。 第2話 縁の欄には、「ひとつの縁に執着しすぎている。手放すことも必要」とあった。 私はくじを折り畳み、上着のポケットに押し込んだ。 ホテルへの帰り道、夕依は私と悠の間を歩き、片方の腕を悠の腕に絡め、もう片方を私の肩に回していた。 土産物屋の前を通りかかったとき、夕依がショーウィンドウに並んだ縁起物を見つけて足を止めた。おそろいのお守りみたいなものだった。 「悠、あれ買おうよ。色違いでおそろいにしたら、かわいくない?」 「誰とおそろいにするんだ?」 「え、私と悠に決まってるじゃん。柚葉とは親友用のを別に買えばいいし」 夕依はそれが当然だと言わんばかりだった。 ショーウィンドウには、赤と青のお守りが1つずつ並んでいた。どちらにも当地の言葉で「縁結び」の文字が刺繍されている。 悠が一瞬黙ってこちらを見た。 何か言われる前に、私から口を開いた。 「2人で買ってきなよ。私、隣のコンビニで水買ってくるから」 そう言って背を向けると、後ろから夕依の明るい声が聞こえてきた。 「ありがと、柚葉!やっぱ柚葉、最高!」 コンビニの中は冷房がよく効いていた。 飲み物の冷蔵ケースの前で、ガラス扉にぼんやり映る自分を眺めていると、スマホが震えた。 悠からだった。 【大丈夫か?】 たったひと言だったけれど、悠が私に直接メッセージを送ってきたのは、この3日間で初めてだった。 何度か返信を打っては消し、結局送ったのは、いつものひと言だった。 【平気】 水を2本買って戻ると、夕依はもう青いお守りを悠のリュックのファスナーにつけていた。 赤いほうは夕依のバッグについていて、ブランド物のリップのそばで、歩くたびに小さく揺れていた。 夜、ホテルに戻ると、夕依が露天風呂に入りたいと言い出した。 「柚葉も行く?」 「私はいい。ちょっと疲れた」 「そっか。じゃあ私だけ行ってくるね。悠、バスタオル持ってきてくれる?」 悠は返事をすると、バスタオルを手に夕依と廊下の奥へ歩いていった。 私は自分の部屋に戻り、カードキーをかざしてドアを開けた。 部屋は3階の一番奥にあるシングルルームで、窓の外に見えるのは駐車場だけだった。 ベッドの端に腰を下ろし、スマホの写真フォルダを開いて、この3日間に撮った写真を最初から見返した。 全部で127枚。 そのうち、悠と夕依が一緒に写っている写真は89枚。 私と悠が一緒に写っている写真は、1枚もなかった。 写真フォルダを閉じ、帰国便の変更内容を確認して、そのまま手続きを済ませた。 すると、またスマホが震えた。 今度は夕依から、グループチャットにメッセージが届いた。 【明日はリンファ山の中腹まで行くよ!柚葉、登ってるところ撮ってくれない?インスタに載せたくなるくらい、いい感じに撮ってほしい!】 私はスマホを伏せ、部屋の明かりを消した。 しばらくすると、廊下から足音と押し殺した笑い声が聞こえてきた。 2人が風呂から戻ってきたらしい。 隣の部屋のドアが開く音がしたあと、廊下はしんと静まり返った。 その静けさが、やけに長く感じられた。 …… 「柚葉、今日これ着ようと思うんだけど、どうかな?」 翌朝早く、夕依は2着のジャケットを手に、私の部屋へ入ってきた。 1着は夕依の白いアウトドアジャケットで、もう1着は悠のネイビーのジャケットだった。 「私、悠の借りたほうが写真映えしそうじゃない?ほら、ちょっとおそろいっぽく見えるし。どう思う?」 そこまで言ってから、夕依は慌てて言い足した。 「あ、変な意味じゃないよ。色の組み合わせがいいかなって思っただけ」 私はベッドの中から、寝癖も直さないまま夕依を見た。 「夕依は何着ても似合うよ」 それは本心だった。 夕依は168センチ。 腰まである長い髪に、すっきりした卵型の顔。 笑うと頬にえくぼができる。 大学に入ってからというもの、夕依に言い寄る男子が途切れたことはなかった。 一方の私は160センチで、短い髪に丸い顔。 いわゆる「よく見れば可愛い」タイプだった。 要するに、ぱっと見で人の目を引くような顔ではなかった。 「もう、柚葉ってば。そういうこと、さらっと言うんだから」 夕依は私のベッドの端に腰を下ろすと、当たり前のように私のブラシを手に取り、自分の髪をとかし始めた。 「そうだ、柚葉。今日、中腹まで行くんだし、あの望遠レンズ持ってきてくれない?ネットで見たんだけど、あそこからだと雪をかぶった山頂がすごくきれいに撮れるんだって」 「あのレンズ、けっこう重いんだけど」 「大丈夫でしょ。柚葉、体力あるし」 第3話 夕依は悠のジャケットを羽織り、部屋の鏡で自分の姿を確かめると、満足そうに笑った。 ジャケットは夕依には少し大きく、袖を折り返すと細い手首がのぞいた。 「じゃ、私先に朝ごはん行ってるね。悠ももう下にいると思うし」 そう言って、夕依は部屋を出ていった。 私はゆっくり支度を済ませ、望遠レンズをリュックに入れた。 肩にかけた途端、ずしりとした重みでストラップが肩に食い込んだ。 レストランへ下りると、悠と夕依は窓際の席で向かい合っていた。 テーブルにはコーヒーが2杯と、朝食が2人分並んでいた。 私が空いている席に座ると、悠が顔を上げた。 「何食べるかわかんなかったから、お前の分は取ってない」 すると、夕依も横から口を挟んだ。 「柚葉、いつも『何でもいい』って言うじゃん。だから何取ればいいかわかんなかったんだよね」 「平気。自分で取ってくるから」 朝食の並ぶカウンターへ行ってみると、洋食はもうほとんど残っておらず、冷めたトーストが数枚と、小分けのバターくらいしかなかった。 私はトーストを2枚だけ皿に取り、席へ戻った。 それを見た悠が、わずかに眉を寄せた。 「それだけか?」 「うん」 夕依は自分の皿からベーコンを1枚取った。 「これ、柚葉にあげる」 そう言ったのに、なぜかベーコンは悠の皿に置かれた。 「あ、ごめん。悠、それ柚葉に回して」 悠は黙ってベーコンを私の皿に移したが、私はそのまま手をつけなかった。 リンファ山の中腹へ向かうバスでは、私は後ろのほうの窓際に1人で座った。 少し前の席では、夕依と悠が肩を寄せ合い、同じイヤホンを片耳ずつつけていた。 夕依は何度か楽しそうに笑い、そのたびにこちらを振り返った。 「柚葉、この曲、めっちゃいいよ。聴いてみなよ」 そう言うだけで、イヤホンをこちらに渡してくることはなかった。 中腹の駐車場に着くと、強い風が吹いていた。 私は重いレンズの入ったリュックを背負い、2人の少し後ろをついていった。 展望台まで来ると、悠と夕依は並んで景色を眺めていた。 夕依は朝から借りていた悠のジャケットを着ていた。 風にあおられて髪が乱れると、悠は何気なく手を伸ばし、軽く整えた。 その仕草はあまりにも自然で、まるでこれまでにも何度もそうしてきたように見えた。 まだ何も頼まれていなかったけれど、私は先にカメラを取り出した。 どうせ、すぐに呼ばれる。 そう思った矢先、案の定、夕依がこちらを振り返った。 「柚葉、今撮って!ここ、めっちゃいい感じ!」 私はカメラを構え、続けざまに4枚撮った。 撮り終えたところで、登山用のリュックを背負った男性に英語で声をかけられた。 「写真のお仕事をされてるんですか?」 一瞬、何と答えればいいのかわからなかった。 男性は私の首から下がったカメラと、荷物で膨らんだリュックに目をやった。 「かなり本格的ですね」 「いえ、あの2人の友達なんです」 そう答えると、男性は少し意外そうな顔をしたものの、笑って会釈し、そのまま立ち去った。 少し離れたところにいた悠にも聞こえていたらしく、何か言いたげにこちらを見たが、結局何も言わなかった。 そこへ夕依が笑いながら口を挟んだ。 「あはは、柚葉、どんだけ本格的に見えるの。知らない人にまでカメラマンだと思われるなんて。 いっそそのままカメラマンになっちゃえば?そしたら私、最初のお客さんになるよ」 風にさらわれて声は途切れ途切れだったのに、その言葉だけは妙にはっきり耳に残った。 私はもう一度カメラを構えた。 ファインダーの向こうでは、リンファ山の雪をかぶった山頂が、まぶしいほど白く輝いていた。 けれど、シャッターを切る指先はすっかりかじかみ、もうほとんど感覚がなかった。 …… 「ねえ、柚葉。最近、悠って私に対してなんか変じゃない?」 その夜、夕依はパジャマ姿で、自動販売機で買ったらしいホットココアを2本持って私の部屋にやってきた。 どこか作ったような困り顔をしていた。 私は夕依を部屋に入れた。 夕依はベッドの上にあぐらをかき、ココアをひと口飲むと、ふうっとため息をついた。 「最近、悠がよくこっち見てくるんだよね。でも何か言ってくるわけでもないし、私が冗談言っても、ちょっと笑うだけなんだよね」 夕依は少し潤んだ目で私を見た。 「ねえ……もしかして、悠って私のこと好きなのかな」 私は舌が焼けそうなほど熱いココアをひと口飲んだ。 「悠、私の彼氏なんだけど」 第4話 夕依は一瞬きょとんとしたあと、慌てて両手を振った。 「わかってるって!そういう意味じゃなくて……ただ、ちょっと戸惑ってるだけ。 ねえ、私、悠とは少し距離置いたほうがいいのかな。でも昔からずっとこんな感じだし、急によそよそしくしたら、悠も変に思うよね?」 夕依の口から何気なく出た「昔からずっと」という言葉が、妙に耳に残った。 夕依と悠は幼なじみだった。家も同じ住宅街にあり、幼稚園から高校までずっと一緒だった。 大学に入ってからは別々だったけれど、夕依が私の大学に編入してきてから、私を通じてまた顔を合わせるようになった。 夕依が編入してきたのは大学2年のときで、寮の部屋もちょうど私の隣だった。そこから私たちはすぐに仲良くなった。 明るくて、きれいで、誰とでもすぐ仲良くなれる子だった。 隣のクラスの悠がよく私を見ていると教えてくれたのも、私と悠の間を取り持ってくれたのも夕依だった。 ラブレターを悠に渡してくれたのも夕依だった。私たちが付き合い始めた日には、インスタに「隣の親友にやっと彼氏できた!」と投稿していた。 私と悠が付き合い始めたことで、夕依と悠もまた昔のように話すようになった。 気づけば、ごはんを食べるときも、勉強するときも、出かけるときも、いつも3人一緒だった。 それを変だと思ったことは、一度もなかった。 今回の旅行までは。 「柚葉、怒ってないよね?」 夕依は身を寄せ、私の手を握ってきた。その手のひらは、少し汗ばんでいた。 声はやけに柔らかく、私の機嫌をうかがっているようだった。 けれど、その目に不安の色はなかった。 私なら怒らない。 いつものように「平気」と言う。 夕依はただ、それを確かめているように見えた。 「怒ってないよ」 そう答えた瞬間、午後にあの男性からかけられた言葉がふと頭をよぎった。 ――写真のお仕事をされてるんですか? あの人には、私が2人の写真ばかり撮っているように見えたんだろう。 悠と夕依にとって、私はいったい何なんだろう。 「よかった!」 夕依はほっと息をつくと、そのまま私のベッドにごろんと横になった。 「そうだ、明日で最後だよね?セイラン湖の近くにオルゴール博物館があるらしいんだけど、行き方調べてもらっていい?」 「いいよ」 そう答えたものの、夕依が部屋を出ると、私は行き方を調べる代わりに航空会社のアプリを開いた。 明日に変更しておいた帰国便は、14時15分発だった。 明日になって、私が先に帰ったと2人が気づくのは、いつ頃だろう。 そのとき、悠からメッセージが届いた。 【もう寝た?】 私はしばらく画面を見つめた。 何か話でもあるんだろうか。 昨日は「大丈夫か?」と聞かれ、今日は「もう寝た?」。 旅行が始まって4日。悠から私に話しかけてきたのは、まだ10回にも満たなかった。 それなのに夕依とは、私が見ていた限りでも、今日だけで50回以上は話していた。 私は返事をしなかった。 数分後、またメッセージが届いた。 【明日、俺たちオルゴール博物館行くけど、お前も来る?】 悠の言う「俺たち」に、私まで入っているのかはもうわからなかった。 どちらにしても、明日そこへ行くのは悠と夕依の2人だけになる。 【明日はゆっくり寝てたいから、2人で先に行ってきて】 送ってすぐ、悠から返事が来た。 【わかった。じゃあゆっくり休んでろ。何か買ってこようか?】 私はすぐに「いらない」と返した。 少し間を置いて、「楽しんできて」とだけ送った。 それきり、やり取りは途切れた。 スマホの画面を消すと、部屋はまた暗くなった。 どこか遠くで花火が弾ける音がした。窓の外がぱっと明るくなり、その光がほんの一瞬だけ天井を照らした。 ふと、大学1年の頃、悠と付き合い始めたばかりのことを思い出した。 あの頃の悠は、図書館で私の席を取るためだけに、20分も歩いて来てくれた。 雨の日には、傘が1本しかなくても私に渡し、自分は濡れながら寮まで帰った。 誕生日には、日付が変わるとすぐに電話をくれた。 最初のひと言も、いつも同じだった。 「柚葉、また1つ大人になったな」 いつから、こんなふうに変わってしまったんだろう。 思い返せば、夕依がまた悠と一緒に過ごすようになってからだった。 悠が急に変わったわけじゃない。 ただ、私だけに向いていた目が、少しずつ夕依にも向くようになった。 本当に少しずつだった。 そんな小さな変化が何度も重なって、気づけば、悠との距離は前とは違っていた。 第5話 悠が私に向けてくれる優しさは、前よりずっと少なくなっていた。それでも、なくなったわけではなかった。 手をつないでくれることもあったし、「おやすみ」と言ってくれる夜もあった。「大丈夫か?」と気にかけてくれることだってあった。 だからそのたびに、悠はまだ私のことが好きで、夕依とは昔からの友達なだけなんだと、自分に言い聞かせていた。 でも、本当にただの友達なら、相手のジャケットを着たりしない。同じイヤホンを片耳ずつ分け合ったりもしない。風で乱れた髪に、あんなふうに手を伸ばしたりもしない。 3人でいるのに、私だけが何度も、周りから「2人とは関係のない人」みたいに見られることだってないはずだった。 明日の便は14時15分発。 2人に別れを言うつもりはなかった。 …… 「お客様、朝食をお持ちしました」 ホテルのスタッフがドアをノックしたときには、もう荷造りを終えていた。 荷物は、機内持ち込みサイズのキャリーケースとリュックが1つずつだけだった。 カメラと望遠レンズはキャリーケースのいちばん下にしまい、その上に、この旅行のために買ったワンピースを重ねた。 出発前、夕依に誘われて一緒に買いに行ったものだった。 せっかくの卒業旅行なんだから可愛い服を着たほうがいい、写真はずっと残るんだからと勧められ、夕依が選んでくれたのが小花柄のワンピースだった。 決して安くはなかったけれど、夕依が似合うと言ったから、迷わず買った。 あれから4日。 結局、一度も袖を通さなかった。 それどころか、この旅行で私が写っている写真は、1枚もなかった。 朝食は少しだけ口にして、トレーをドアの外に出した。 時計を見ると、8時半だった。 悠と夕依は、もうチェックアウトして出かけているはずだった。 スマホを見ると、15分ほど前に夕依からグループチャットへメッセージが2件届いていた。 【柚葉、もう出たよ。ゆっくり寝ててね】 【お土産にオルゴール買ってくるね!】 悠はグループチャットには何も送っていなかった。 でも、5分ほどしてから、私にだけメッセージが届いた。 【午後戻ったら、そっちの部屋行く】 私はしばらく画面を見つめた。 その頃には、もうこの部屋にはいない。 返事はしなかった。 キャリーケースを引いてロビーへ下りると、フロントには初日に対応した男性スタッフがいた。 私を見ると、すぐに声をかけてきた。 「お連れ様はご一緒ではないんですか?タクシー、お呼びしましょうか?」 「タクシー、お願いします」 チェックアウトの手続きをしている途中、スタッフに尋ねられた。 「お連れの方にもお伝えしておきましょうか?」 「いえ、結構です」 タクシーはすぐに来た。 乗り込む前、私はホテルの入口を一度だけ振り返った。 この4日間、何度あそこを通っただろう。思い返してみれば、いつも私は2人の少し後ろを歩いていた。 その景色に心の中で別れを告げ、タクシーに乗り込んだ。 ホテルを出て10分ほどすると、スマホが鳴った。悠でも夕依でもなく、母からの電話だった。 「柚葉、旅行楽しんでる?」 「うん。楽しかったよ」 「写真も送ってよ。悠くんと一緒に撮ったの、お母さんも見たいな」 私は少し黙ってから答えた。 「今度撮ったら送るね」 電話を切ると、車窓には広い田畑と、まばらに建つ家々が流れていった。 バックミラーに映るリンファ山も、少しずつ小さくなっていった。 空港に着いたころには、もう正午を回っていた。 保安検査を終えて搭乗口で待っている間も、2人から連絡はなかった。 そのまま何事もなく、搭乗時刻を迎えた。 2人は、まだオルゴール博物館にいるんだろう。 今頃はもう、私がいなくても2人で写真を撮っているのかもしれない。 窓側の席に腰を下ろし、シートベルトを締めた。 ふと隣を見ると、年配の夫婦が並んで座っていた。 夫が妻のシートベルトを締めるのを手伝うと、妻はその手を軽くぽんと叩いた。 私は窓の外へ顔を向けた。 離陸を待つ間、最後にもう一度スマホの画面を開いた。 そこには、悠からのメッセージが残っていた。 【午後ホテル戻ったら、お前の部屋行く】 メッセージ画面を閉じ、機内モードに切り替えた。 しばらくして、飛行機が滑走路を離れた。 窓の外では、さっきまで近くに見えていた建物や道路が、みるみる小さくなっていった。 機内アナウンスで、到着まではあと4時間半だと流れた。 その頃には、私はもう帰国している。 この旅行も、そこで終わりだ。 私は目を閉じた。 飛行機は静かに雲の中へ入っていった。