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5年越しの結婚式、花嫁は私じゃなかった
婚約から5年。黒崎怜司(くろさき れいじ)はようやく、私、水野紗也(みずの さや)と結婚式を挙げる約束をしてくれた。 ところが式の前夜、私が自らデザインしたメインホールも、ウェディングドレスも、招待客の席までも、帰国したばかりの初恋相手に譲ると言い出したのだ。 「美玲のお父さんが重病で、娘の花嫁姿を見たいらしい。俺たちは日を改めればいいだろ」 まるで大したことではないと言わんばかりに、私には会場に残って2人の式を取り仕切れという。 泣きもせず言い争うこともなく、私は胸につけていた総合プロデューサーの名札を外し、会場側へ最後のメールを送った。 【明日の式におけるデザインの利用権利をすべて取り消します。黒崎グループのブライダルブランドとの提携も解除します】 怜司は、私がすねているだけだと思っていた。 けれど翌日、300人の招待客を迎えた会場では照明が落とされ、大型スクリーンに利用権利の取り消しを知らせる通知が映し出された。私のチームもすべて撤収し、ようやく彼は思い知ったのだ。 取り消されたのは、結婚式だけではなかった。 10年分の愛情を込めた痕跡をも、私はすべて引き揚げたのだ。
Chapters (1)
第1章
婚約から5年。黒崎怜司(くろさき れいじ)はようやく、私、水野紗也(みずの さや)と結婚式を挙げる約束をしてくれた。
ところが式の前夜、私が自らデザインしたメインホールも、ウェディングドレスも、招待客の席までも、帰国したばかりの初恋相手に譲ると言い出したのだ。
「美玲のお父さんが重病で、娘の花嫁姿を見たいらしい。俺たちは日を改めればいいだろ」
まるで大したことではないと言わんばかりに、私には会場に残って2人の式を取り仕切れという。
泣きもせず言い争うこともなく、私は胸につけていた総合プロデューサーの名札を外し、会場側へ最後のメールを送った。
【明日の式におけるデザインの利用権利をすべて取り消します。黒崎グループのブライダルブランドとの提携も解除します】
怜司は、私がすねているだけだと思っていた。
けれど翌日、300人の招待客を迎えた会場では照明が落とされ、大型スクリーンに利用権利の取り消しを知らせる通知が映し出された。私のチームもすべて撤収し、ようやく彼は思い知ったのだ。
取り消されたのは、結婚式だけではなかった。
10年分の愛情を込めた痕跡をも、私はすべて引き揚げたのだ。
第1話
結婚式を翌日に控えた夜、私、水野紗也(みずの さや)は宴会場の中央で最後の照明チェックをしていた。
正面の大型スクリーンには、半年かけて描き上げた、天の川の流れる星空が広がっている。ステージに沿って並ぶ12組のフラワーオブジェがゆっくりと花開き、中央に伸びるバージンロードを「10年」と名付けた。
19歳で黒崎怜司(くろさき れいじ)に出会ってから、29歳で彼と結婚するまで。ひとつひとつの照明に2人の思い出を重ねてある。
アシスタントがインカムを差し出しながら声をかけてきた。
「水野さん、新郎様がいらっしゃいました」
振り向いた私の目に最初に入ったのは、白いワンピース姿の白川美玲(しらかわ みれい)だった。
まだ設営中の会場を、怜司は彼女をかばいながら歩いてくる。運ばれてくる機材がぶつからないよう、ずっと腰の後ろへ手を添えていた。以前は私だけにしてくれた仕草だ。
「紗也。明日の結婚式はいったん中止にしよう」
怜司は目の前まで来ると、仕事の予定でも伝えるような口調でそう言った。
聞き間違いかと思った。
式まであと11時間しかない。300人の招待客はすでにホテルに入り、私の両親も遠方から来てくれている。
「どうして?」
目を赤くした美玲が先に口を開いた。
「水野さん、ごめんなさい。父が末期がんなの。お医者様には今月いっぱいもつかどうかって言われていて……どうしても私の花嫁姿が見たいって」
そう言って、美玲はメインステージに目を向けた。
「怜司が、2人にはこれから先いくらでも機会があるからって」
私は怜司を見据えた。
「それで?」
「明日は美玲に譲ってやってほしい。招待客も進行もそのままでいい。ブランドの特別企画ということにすればいいから、お前には会場を仕切ってもらいたいんだ」
私が半年かけて準備した結婚式が、彼にとっては、気軽に人に貸せるものらしい。
「ドレスは?」
重ねて尋ねると、美玲が声を落とした。
「私と水野さん、サイズがあまり変わらないから。怜司がもうウエストを直すように頼んでくれたの」
胸の中にわずかに残っていた温もりまで、すっと冷えていった。あのドレスについた1万8000粒のビーズは、母と私が1粒ずつ選んだものだ。
黙っている私に、怜司は苛立ったように眉を寄せた。
「ただ形式的にやるだけだろ。お前はいつも物分かりがいいだろ。今回くらい我慢してくれよ」
「わかった」
私は胸の名札を外し、彼の手のひらに置いた。
「明日は彼女に着せればいいわ」
怜司はほっとしたように表情を緩めた。
けれど怜司は、あのドレスもステージも、会場全体の演出も、すべて私のデザイン事務所が権利を持っていることを知らなかった。
私は調整室に入り、法務担当へメールを送った。
【午前0時をもって、すべての使用許諾を取り消してください】
送信した直後、会場の責任者から電話がかかってきた。
「水野さん、たった今、黒崎社長から新婦のお名前を白川美玲様に変更するようにと指示がありました。本当に提携を解消なさるんですか?」
ガラスの向こうでは2人が抱き合っていた。
「ええ。それと、関連する支払いはいったん止めて。私が立て替えた9720万円についても、今夜中に全額の返還請求の手続きを進めてちょうだい」
会場の責任者によると、デザインの使用許可を取り消せば、会場に残せるのはホテル備え付けのテーブルと椅子だけで、メニュー表の星模様のカバーまで外さなければならないという。
「構わないわ。全部撤去して」
私が描いたものを、あの2人の愛の証しに使われるくらいなら、いっそ何も残さないほうがいい。
続けてドレスを仕立てたアトリエにも連絡し、ドレスは証拠として当面ホテルに保管すること、美玲による公開展示や商業目的のライブ配信での使用は認めないことを伝えた。
メールのCCから、初めて怜司の名前を外した。
この半年、何を決めるにも彼の返事を待つのが当たり前になっていた。けれど、もう彼の返事は待たない。
第2話
ホテルを出ると、怜司が追いかけてきた。
「どこへ行くんだ?」
「家に帰って荷物をまとめるの」
そう答えた私の手首を彼がつかんだ。
「紗也、つらいのはわかる。でも、美玲のお父さんは危篤なんだ。最期の願いくらい、かなえてやりたいじゃないか」
「彼女の婚約者はどうしたの?」
怜司は一瞬、黙り込んだ。
美玲は3か月前、海外にいる婚約者と別れていた。父親を安心させるには、結婚相手として申し分のない、信頼できる男性に花婿役を頼む必要があった。そこで美玲が選んだのが、怜司だった。
「ただの芝居だよ。式が終わったら、俺からみんなに説明するから」
私は彼を見上げた。
「指輪を交換して、抱き合って、キスまでするの?」
「式の流れでそうするだけだ」
つかまれた手を、ゆっくりと引き抜いた。
10年前、美玲は海外へ行くために怜司を振った。その後、起業した彼に寄り添い、最初の出資を取りつけたのも私だ。資金繰りが行き詰まったときには、母から譲られた小さなマンションを売って支えた。
怜司が成功すると、周りは「待った甲斐があったね」と言ってくれた。けれど、10年も待ち続けた私を待ち構えていたのは、別の女性の結婚式の準備だった。
そこへ母から電話がかかってきた。
母は、明日の朝のメイクは何時からなのかと聞いてきた。父と一緒に、招待客への引き出物も2度確認したという。
少し間を置いて、私は告げた。
「お母さん、結婚式は中止になったの」
電話の向こうが静まり返った。しばらくして、電話を代わった父がひと言だけ尋ねた。
「迎えに行こうか?」
その声に、涙がこぼれそうになった。
「ううん。自分で帰れるから」
会話を聞いていた怜司の顔色が変わった。
「今ご両親に言うことないだろ」
「じゃあいつ言うの?2人が客席で、あなたと別の女性が愛を誓うのを見てから?」
「俺が説明するって言っただろ」
「もう説明しなくていいから」
私は部屋の鍵を彼のスーツのポケットに入れた。
「怜司、私たちもう終わりにしましょう」
怜司は一瞬呆然としたが、すぐに表情を険しくした。
「たった今日のことでか?」
「いいえ。10年分よ」
私は車に乗り込み、もう振り返らなかった。
午前0時になると、仕事用のグループチャットに次々と報告が届いた。映像の使用許可が取り消され、機材の貸し出しも停止。制作チームも会場から撤収した。怜司からは17回も電話がかかってきたが、私は一度も出なかった。
午前1時になると、今度はメッセージが届いた。
【式で使う機材を全部引き揚げさせたのか?】
私が返したのはひと言だけだ。
【あれは私の作品よ。あなたが勝手に美玲に譲っていいものじゃないわ】
移動の途中、式の進行担当から届いた最新のプログラムにはすでに美玲の名前が入っていた。それどころか、私が怜司へ書いた誓いの言葉までそのまま使われている。
最後の一文はこうだった。
――いつも私をひとりにせず、そばにいてくれてありがとう。
その一文を見つめ、私は元データの共有権限を削除した。
すぐに怜司から問い詰めるようなメッセージが届く。
【誓いの言葉のファイルが開けないんだけど、どういうことだ?】
返事はしなかった。嘘くらい自分で考えればいい。
その直後、今度は経理責任者から電話が入った。
「水野さん、9720万円の返還請求に向けて資料を確認していたんですが、不審な支払いが1件あります。1800万円が美玲さんのお父様の個人口座に振り込まれていました」
しかも、送金の名目はあとから花材費に書き換えられていた。もともとは「白川家への資金繰り支援」と記されていたという。
摘要を変更できるのは承認用アカウントを持つ者だけ。そのアカウントには昨夜も怜司のオフィスからログインした記録があった。
私は履歴を保存し、システム担当者にすべてのパスワードを至急変更するよう伝えた。
第3話
その1800万円は、黒崎グループのブライダル案件の前払金から出ていた。
3か月前、怜司から「ホテルから追加の前払い金を求められたから、事務所のお金で立て替えてほしい」と頼まれた。けれど、ホテルとの契約書にそんな支払いの記載はなかった。
経理から送られてきた申請書には、申請者として怜司の秘書の名前があった。承認欄には私の電子決裁印が使われ、用途は「輸入花材の予約」となっていた。
私はすぐに元の伝票を保管するよう経理に指示し、銀行にも連絡して取引明細の発行を依頼した。
朝7時、母が事務所にやって来た。私を諭すこともなく、引き出物の箱を壁際に置いた。
「これはどうしようか」
「私たちの名前が入ったものは外して、福祉施設に寄付しようと思う」
母はうなずき、一緒にリボンをほどいてくれた。
最後の箱に取りかかったところで扉が開いた。入ってきた怜司は一睡もしていないらしく、シャツはしわだらけだった。
「今すぐチームを戻せ」
「それは無理」
「300人も客が来てるんだぞ。今さら引き揚げられたら俺が恥をかくだけじゃ済まない。会社の信用にも関わるんだ」
私はデザインの使用許可を取り消す通知書を、怜司の前に差し出した。
「私に無断で、別の人の結婚式に変えたんでしょう。それは契約違反よ。ホテルの会場や食事はそのまま使えても、私のデザインまで勝手に使えると思わないで」
ざっと目を通した怜司は、書類を机に叩きつけた。
「紗也、美玲のお父さんはもう長くないんだぞ!こんなときに騒ぎを起こすなよ!」
「そのお父さんの口座に1800万円が入っていたわ」
怜司が言葉を失った。私は支払記録を拡大して見せる。
「輸入花材の代金が、どうしてあの人の口座に振り込まれているの?」
「貸したんだよ」
「私の決裁印を使って?」
「秘書が間違えたんだ」
あまりにも即座に返ってきた言葉に、私はしばらく彼を見つめた。今回が初めてではないのだと、気づいてしまった。
2年前にも、留学中の美玲がお金に困っているから、しばらく援助したいと怜司に言われた。私は事務所の支援制度を使って年間400万円を出すことに同意したものの、その契約書は一度も見せてもらっていない。
経理に記録を調べ直してもらうと、支援金は専用の口座から出ておらず、3つの案件の経費に分けて計上されていた。どの支払いも私が再確認する必要のない金額に抑えられている。
秘書が一度うっかり間違えたという話ではない。私の決裁手続きを熟知した誰かが、長い間、私の信頼につけ込んでいたのだ。
怜司は私の仕事の進め方を熟知しているし、私が彼を疑わないこともよく知っている。
私は過去2年分の案件の明細を開き、彼の秘書が申請し私の名義で承認された支払いを1件ずつ調べるよう経理に頼んだ。
怜司がパソコンを閉じようと手を伸ばすと、母が私の前に立ちはだかった。
「怜司さん、お引き取りください」
いつも親しみを込めて呼んでいた「怜司くん」ではなかった。
怜司は青ざめながらも私に言った。
「今日が終わったらきちんと説明する」
「もう結構よ」
私は彼の目の前で決裁印の使用権限を取り消し、取引先にも注意を促す通知を送った。
午前9時、ホテルの大型スクリーンは真っ暗になっていた。招待客がざわつき始め、騒ぎを聞きつけた報道陣も集まってきた。
そんな中、美玲は私のドレスを着たまま、控室でライブ配信を始めていた。恋愛のもつれを理由に、重病の父の最期の願いをわざと邪魔しようとしている人がいると、泣きながら訴えていた。
カメラの外で、美玲に私のベールをつけてやっていたのは怜司だった。