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偽りの愛
娘・芹奈が7歳になった年、私、御堂志乃(みどう しの)はようやく思い知った。夫・御堂蓮司(みどう れんじ)は、私を一度も愛していなかった。 こんな結婚生活は、もう終わりにしよう。芹奈を連れ、二度と蓮司のもとへ戻らないと決めた。 ところが、これまで私と芹奈に見向きもしなかった蓮司が、突然取り乱した。何度も何度も謝り、芹奈が欲しがっていたものを次々と買ってきた。芹奈を喜ばせるため、真夏に着ぐるみ姿で踊ったことさえある。汗だくになったその姿に、私も芹奈もとうとうほだされ、これを最後にもう一度だけ信じることにした。 だが、その帰り道、私と芹奈は突然何者かに拉致された。 私は左耳を、芹奈は片脚を失った。 絶望の中、私たちを救い出したのは蓮司だった。 「一度は間違えた。もう二度と間違えない」 私も芹奈もその言葉を信じ、今度こそ家族3人でやり直せると思っていた。 ある日、芹奈と一緒に蓮司の会社を訪ねた。そこで偶然、蓮司と顧問弁護士・高瀬湊(たかせ みなと)が話しているのを聞いてしまった。 「御堂社長、白石美羽(しらいし みう)さんの息子を救うために、奥様とお嬢様の拉致を仕組み、お二人から移植に必要な部位まで摘出させたんですよ。この件が少しでも外に漏れたら、御堂グループは終わりです。本当に、そこまでする価値があったんですか?」 「ああ。美羽が喜ぶなら、何をしたって構わない」 「では、奥様とお嬢様はどうするんですか?」 蓮司は黙り込み、テーブルに置かれた家族3人の写真を手に取ると、複雑なまなざしを向けた。 「あの二人は、家族そろって暮らしたいだけだろう。それなら、これから一生かけて償う」 蓮司が心を入れ替えたというのは、すべて嘘だった。
Chapters (1)
第1章
娘・芹奈が7歳になった年、私、御堂志乃(みどう しの)はようやく思い知った。夫・御堂蓮司(みどう れんじ)は、私を一度も愛していなかった。
こんな結婚生活は、もう終わりにしよう。芹奈を連れ、二度と蓮司のもとへ戻らないと決めた。
ところが、これまで私と芹奈に見向きもしなかった蓮司が、突然取り乱した。何度も何度も謝り、芹奈が欲しがっていたものを次々と買ってきた。芹奈を喜ばせるため、真夏に着ぐるみ姿で踊ったことさえある。汗だくになったその姿に、私も芹奈もとうとうほだされ、これを最後にもう一度だけ信じることにした。
だが、その帰り道、私と芹奈は突然何者かに拉致された。
私は左耳を、芹奈は片脚を失った。
絶望の中、私たちを救い出したのは蓮司だった。
「一度は間違えた。もう二度と間違えない」
私も芹奈もその言葉を信じ、今度こそ家族3人でやり直せると思っていた。
ある日、芹奈と一緒に蓮司の会社を訪ねた。そこで偶然、蓮司と顧問弁護士・高瀬湊(たかせ みなと)が話しているのを聞いてしまった。
「御堂社長、白石美羽(しらいし みう)さんの息子を救うために、奥様とお嬢様の拉致を仕組み、お二人から移植に必要な部位まで摘出させたんですよ。この件が少しでも外に漏れたら、御堂グループは終わりです。本当に、そこまでする価値があったんですか?」
「ああ。美羽が喜ぶなら、何をしたって構わない」
「では、奥様とお嬢様はどうするんですか?」
蓮司は黙り込み、テーブルに置かれた家族3人の写真を手に取ると、複雑なまなざしを向けた。
「あの二人は、家族そろって暮らしたいだけだろう。それなら、これから一生かけて償う」
蓮司が心を入れ替えたというのは、すべて嘘だった。
第1話
オフィスで、蓮司は湊から受け取った事後処理の報告書を念入りに確認し、ようやく肩の荷が下りた。
「今回の拉致の件は、うまく処理してくれたな。志乃も芹奈も何も気づいていない。芹奈の脚も無事に陽向へ移植できた。これで美羽も俺も安心だ」
湊は眉をひそめ、黙っていられず口を開いた。
「御堂社長、いくら白石さんが大切でも、奥様ではありません。奥様との間にはお嬢様もいるんです。まだ7歳ですよ。白石さんを悲しませたくないというだけで、お嬢様の左脚を切断させ、その脚を白石さんの息子さんへ移植させた。それで公平だと、本気で思っているんですか?」
蓮司の目つきが冷たくなり、報告書を机に叩きつけた。
「もういい!美羽を悪く言うな。片脚を失っただけだ。生活できないわけじゃない」
湊は怒りを抑えきれず、蓮司を問い詰めた。
「では、この先ずっと、奥様とお嬢様に真相を隠し通せるんですか?奥様とお嬢様が、自分たちは白石さんのために殺されかけたのだと知ったら、どうするおつもりですか?」
蓮司は黙り込み、やがてスマホを取り出してトーク画面に目を落とした。表示されているのは、私が撮った、朝の挨拶をする芹奈の動画だった。その目からは何も読み取れなかった。
「二人が気づくはずはない。うまく隠したからな。それに……」
蓮司はスマホをしまい、迷いなく言い切った。
「志乃も芹奈も、俺を愛している」
自分の耳を疑った私は、怒りで全身が冷え切り、立っているのもやっとだった。
車椅子の芹奈も口元をぎゅっと押さえ、目を真っ赤にしていた。
芹奈は私に聞きたかったのだ。お母さん、お父さんが言っていたことは本当なの?お父さんは本当に、ほかの人のために芹奈の脚を切ったの?
芹奈は今も、悪い人たちに押さえつけられたときの感覚を忘れていない。痛くて、痛くて、ずっと叫び続けた。
「お父さん、芹奈を助けて!芹奈の脚を切らないで!」
けれど、痛みで気を失うまで、お父さんは現れなかった……
第2話
私は今も、集中治療室のベッドに横たわる芹奈の姿を覚えている。
芹奈は泣きながら私に聞いた。
「お母さん、芹奈、何か悪いことしたの?どうしてあの人たちは、芹奈の脚を切ったの?」
私は何も答えられないまま、何度も何度も自分を責めた。
どうしてあの日、芹奈を買い物に連れていったのだろう?連れて出かけなければ、私がもっと気をつけていれば……芹奈はこんな目に遭わずに済んだのではないか?
私はずっと、自分を恨み続けてきた。けれど、本当に憎むべきだったのは蓮司だ。
涙が勝手にこぼれた。しゃがみ込み、芹奈をきつく抱きしめた。
車椅子がドアにぶつかり、その音で部屋にいた二人がこちらに気づいた。
蓮司が勢いよくドアを開け、目を真っ赤にした私を見るなり、その場で固まった。
「芹奈、志乃?二人とも、どうしてここに?」
突然顔を合わせ、全員が動揺した。蓮司は緊張のあまり、一瞬息をのんだ。
芹奈と目が合うと、二人同時に涙を拭った。
「芹奈がお父さんに会いたがっていたから、会社まで連れてきたの。今着いたところよ」
蓮司はほっと息をついたが、私の次の言葉に動きを止めた。
「弁護士さんと何を話していたの?私にも教えてくれる?」
笑みを浮かべて顔を上げたが、蓮司の表情から一瞬も目を離さなかった。
蓮司は目を泳がせ、とっさに話題をそらした。
「何でもない。仕事の話だ。それより、今日は遊園地に行くんだっただろ?今から行こう」
緊張で汗をにじませる蓮司を見て、心が沈んでいった。
背を向け、芹奈の車椅子を押して歩き出した。
蓮司は一瞬動きを止めたが、すぐに私たちに追いつき、何気ないふりをして切り出した。
「志乃、美羽のこと、覚えてるだろ?前に陽向が病気だって話したよな。もうよくなって、そろそろ退院するんだ。美羽には頼れる家族もいないし、何日か、うちに泊めてやれないか?」
蓮司は私の表情をうかがい、付け加えた。
「もちろん、無理にとは言わない。志乃と芹奈が嫌なら、やめておく」
「私は気にしない。うちに連れてくれば?」
蓮司は一瞬目を見開いたが、すぐに笑みを浮かべた。
「ありがとう、志乃。本当に優しいな。志乃と芹奈がいてくれて、俺は幸せだ」
そう言うと芹奈の車椅子を私から受け取り、驚くほど優しい声で話しかけた。
「遊園地に着いたら、お父さんが大好きなバレリーナのお人形を買ってあげようか?」
聞き慣れた言葉に足が止まり、また涙がこぼれそうになった。
芹奈が何より好きなのは、バレエだ。これまで何度も、私の耳元に顔を寄せ、やわらかな声で話してくれた。
「お母さん、芹奈、踊るのが大好き。大きくなったら、すごくすごく有名なバレリーナになるの。芹奈が舞台に立つときは、お父さんと一緒に一番前で見てね」
今年7歳になる芹奈を、私は評判のいいバレエ教室に通わせていた。
それなのに、私の娘はもう二度と立つことができない。
不意に芹奈が私の手首をつかんだ。その手も震えていた。
それでも蓮司は何も気づかず、電話に出ると、適当な口実をつけてその場を離れた。
私はその隙に、芹奈ときちんと話をした。
芹奈を連れて、こんな家から逃げたい。できるだけ遠くへ行き、もう二度と蓮司には会いたくない。
芹奈は嫌だとは言わず、黙ってタブレットに録画していた動画日記を開いた。
第3話
1本目は、蓮司と離婚のことで揉めた日のものだった。
芹奈はクマのぬいぐるみを抱きしめ、悲しそうな顔をしていた。
「お父さんとお母さん、離婚するんだって。離婚したら、もうお父さんには会えなくなるって、芽衣ちゃんが言ってた。芹奈、お父さんと離れたくない。だから、これから毎日、動画を撮るの。そうしたら、お父さんのこと、忘れないから」
3本目は、蓮司が着ぐるみ姿で私たちに許してほしいと頼んだ日に撮ったもので、芹奈は目を輝かせていた。
「お父さんってば、ほんとにおバカ。いちごウサギの着ぐるみで踊るなんて。芹奈がいちごウサギを一番嫌いなの、知らないのかな?でも、もういいや……芹奈、いちごウサギも好きになってみる。お父さんって優しい。芹奈、お父さんが一番好き」
10本目は、芹奈が病院で目を覚まし、左脚を失ったと知った日の動画だった。
画面の中で、芹奈は両目をひどく泣き腫らしていた。
「お母さんが、芹奈はもう踊れないって。芹奈、何か悪いことしたのって、お母さんに聞いたの。どうしてあの人たちは、芹奈にあんなひどいことをしたの?でも、お母さんは何も言わないで、ずっと泣いてた。お父さんも泣いて、芹奈をぎゅっと抱きしめて、芹奈のことが大好きだって言ってた」
45本目は、傷が治って初めて学校へ戻った日の記録だった。
芹奈は口数が減り、すっかり元気をなくしていた。
「学校に戻れば少しは元気になれるって、お父さんが言ったの。でも、嘘だった。みんな芹奈のことを笑うの。大地くんはずっと芹奈の車椅子を蹴って、芹奈のことを『片脚しかないやつ』って呼んだの。それから、芹奈を床に突き落として、犬みたいに這えって言った。先生には言えなくて、隠れてずっと泣いてた。でも大丈夫。芹奈にはお父さんとお母さんがいるから。二人とも、芹奈のことが大好きだから」
……
胸が引き裂かれるように痛んだ。
たまらず芹奈を抱きしめ、声を上げて泣いた。
「芹奈、お母さんと一緒に行こう。もうお父さんとは暮らさない。それでもいい?」
芹奈はうつむき、傷跡を覆うスカートの裾に、涙を一粒、また一粒と落とした。
「うん」
その一言で、胸の奥が重く沈んだ。そのとき、思い切った計画が頭に浮かんだ。
蓮司。芹奈が片脚を失ったくらい、大したことではないと思っているんでしょう?だったら、蓮司のせいで私と芹奈がこの世から消えるところを、見せてあげる。
家に戻ると、すぐに弁護士に資産の整理を依頼した。続けて、偽装死を請け負う業者に連絡し、今夜までに二人分の遺体を用意するよう頼んだ。
手配を終え、芹奈を連れて学校へ戻り、荷物をまとめた。
教室に入ろうとしたとき、中から聞き覚えのある声がした。
「陽向の脚はどうだ?もう問題なく動かせるのか?」
白石美羽(しらいし みう)は目を輝かせ、笑みを浮かべた。
「先生が、経過は順調で、今はもうほかの子と変わらないって。蓮司、本当にありがとう。全部、蓮司のおかげだよ」
蓮司は口元をほころばせ、うれしそうに笑った。
「美羽が喜んでくれるなら、俺は何だってする」
美羽ははにかみ、小声で尋ねた。
「でも、志乃は?陽向に芹奈の脚を移植したって知ったら、私に怒るんじゃない?私のせいで蓮司を困らせたくないの」
聞き慣れたその口調に、胃の奥から吐き気が込み上げた。
美羽はいつもそうだ。欲しいものをすべて手に入れておきながら、自分は何も悪くないような顔をする。気づけば、相手のほうが必死になって美羽に尽くしている。
5年前、芹奈が病気になり、39度の高熱で意識を失いかけたときもそうだった。
美羽はそのことを知ると、元気だった息子・白石陽向(しらいし ひなた)に、わざと冷たいシャワーを浴びさせた。そうして風邪をひかせ、蓮司の気を引こうとした。
第4話
そのせいで、蓮司は私と芹奈を置き去りにし、陽向に一晩中付き添った。
芹奈は目を覚ますと、泣きながらお父さんに会いたいと言った。せめて顔だけでも見せに来てほしくて、蓮司に電話をかけた。
蓮司は、美羽に代わって食事を作っていて手が離せないからと、私からの電話を着信拒否にした。私と芹奈には、これ以上くだらない真似をするなと言い放った。
目の奥が熱くなった。芹奈の車椅子を押して立ち去ろうとしたとき、ちょうど蓮司が出てきた。
目が合った瞬間、蓮司はあからさまにうろたえた。
「いつ来たんだ?どうして連絡しなかった?」
私が美羽を見ていることに気づいた蓮司は、慌てて言い訳を始めた。
「美羽には前にも会ってるだろ。陽向がこの学校に転校してきたばかりで、学校のことがまだよく分からないんだ。だから、校内を案内していただけだ。別に……」
「分かってる」
蓮司の言葉を遮り、芹奈の車椅子を押して背を向けると、美羽が足早に私の前へ回り込み、平然と声をかけてきた。
「志乃、久しぶり。芹奈も病気なの?かわいそうね」
美羽はそばにいた陽向を引き寄せた。
「陽向、芹奈に挨拶して。二人って、本当に縁があるわね」
陽向は芹奈に近づき、物珍しそうに眺めたかと思うと、いきなりスカートをめくり上げた。その下から、片方だけ空になったズボンの裾がのぞき、陽向は嫌そうに顔をしかめた。
「お母さん、この子、足が1本しかないよ。気持ち悪い!」
芹奈はさっと顔色を失い、自分の姿を隠すように私の背中へ身を寄せた。
私も怒りで全身が震えた。
蓮司はさっと美羽の前に立ち、どこかぎこちない口調で私をなだめた。
「志乃、怒るなよ。陽向はまだ子供で、何も分かってないんだ。子供のしたことに、大人がムキになるわけにもいかないだろ?」
どの言葉も、陽向をかばうためにしか聞こえなかった。
芹奈は蓮司を振り返り、信じられないとでも言いたげな目を向けた。
昨日は、誰かが芹奈をからかうような一言を口にしただけで、蓮司はその場で激怒した。
それなのに今は、芹奈を傷つけた陽向を堂々とかばっている。
相手が違えば、芹奈のことなどどうでもいいのだ。
芹奈の瞳から、少しずつ光が消えていった。
芹奈は私の手を握り、泣きそうな顔でかすかに笑った。
「お母さん、帰ろう」
私はもう迷わず、芹奈の車椅子を押して足早にその場を離れた。
蓮司は動揺したまま私と芹奈の背中を見つめ続け、美羽に4、5回呼ばれてようやく我に返った。
残り10時間。
……
夜、私は業者と電話で最後の段取りを確認していた。芹奈は車椅子に座り、タブレットでアニメを見ていた。
電話を切ろうとしたとき、タブレットから流れるアニメの音が、突然バレエ音楽に変わった。
不思議に思って近づくと、画面には美羽からのメンションがついた投稿が表示され、ダンス動画が流れていた。
動画の中で、バレエ衣装を着た芹奈が踊っている。初めて出場したコンクールの児童の部で優勝したときの映像だ。
優勝がうれしくて、芹奈は何日もはしゃいでいた。先生も、芹奈には才能があるから、いつかきっと夢を叶えられると言っていた。
私へのメンションは、すぐに外された。続けて、美羽から舌を出した絵文字とメッセージが届いた。
【ごめんね、志乃。忘れてた。芹奈はもう片脚しかないから、踊れないんだったね】
短いメッセージからも、あからさまな嘲りが伝わってきた。
私が止める間もなく、芹奈は自分を痛めつけるように、そのメッセージを何度も何度も読み返していた。
胸が締めつけられ、慌ててタブレットの画面を消した。芹奈をなだめながら寝室へ連れていき、寝かしつけた。
午後10時、蓮司は美羽と陽向を連れて帰ってきた。
第5話
家に入った蓮司は、開いたままのスーツケースを見て一瞬固まった。すぐに陽向の手を放すと、慌ててその前に立ちふさがった。
「何で荷造りなんかしてるんだ?芹奈を連れて、どこに行くつもりだ?いつ帰ってくる?」
蓮司は途方に暮れた顔で私を見つめていた。その目には、本気の怯えが浮かんでいた。
けれど、深く考える気にもなれず、適当な理由でごまかした。
「芹奈の傷がまた痛むの。先生に入院したほうがいいと言われたから、必要なものをまとめていただけよ」
蓮司はほっと息をついた。
「それならいい。てっきり……」
そこまで言いかけて、蓮司は自分でも取り乱しすぎたと思ったのか、自嘲気味に笑った。
私と芹奈があれほど蓮司を愛しているのだから、出ていくはずがない。そう思っているのだろう。
蓮司は首を振ると、私の横を通り過ぎ、美羽と陽向を連れて2階へ向かった。
私は気にも留めず、スーツケースを裏口に置いた。
10分後、2階から突然、子供の泣き声が聞こえた。
胸が跳ね、すぐに階段を駆け上がって芹奈の部屋へ飛び込むと、陽向が興奮した顔で、得意げに車椅子を踏みつけていた。
パジャマ姿の芹奈は床にうつ伏せになり、裾で傷口を隠そうと必死になっていた。
「見ないで。見ないで……」
陽向は舌打ちし、勝ち誇った顔で言った。
「片脚しかないくせに。見るったら見る!ほら、早く脚がないところを見せろよ。こんな気持ち悪いもの、見たことない。見せろ!」
そう言うなり、陽向は芹奈の服をめくり上げようと手を伸ばした。
「やだ、やだ!触らないで!お母さん、お父さん、早く助けて……」
芹奈が泣けば泣くほど、陽向はますます興奮した。とうとう、芹奈のクマ柄のパンツにまで手をかけ、引っ張り始めた。
次の瞬間には二人の間へ飛び込み、陽向を力任せに引きはがすと、芹奈を腕の中へ強く抱き寄せた。
私に気づいた陽向は、一瞬ぎくりとした。何か物音が聞こえたらしく、すぐにわっと泣きだした。
その姿を見るなり、美羽は私に手を上げようとしたが、途中で何かを思い出したように動きを止め、意地悪く尋ねた。
「志乃、陽向はずいぶんしっかり歩けるようになったと思わない?
前に、陽向が遊んでいて2階から落ちたことがあるの。先生には、脚を切断することになるかもしれないって言われた。
それを知った蓮司は、すごく慌ててた。何としてでも陽向を元どおりにするって言って、海外まで飛んで、四肢移植の第一人者まで探してくれたの。
それがね、移植された脚は陽向の体にすっかりなじんで、拒絶反応もなかったの。それどころか、陽向は前より元気になったくらい。この脚、いったい誰のものだったんだろうね。陽向にも、その人にちゃんとお礼を言わせないと」
芹奈はぴたりと泣きやみ、私の胸に顔を押しつけたまま、小さな体を震わせていた。
美羽はますます面白がり、わざと芹奈のすぐそばまで顔を寄せ、大声で続けた。
「実は当時、移植に使える脚はいくらでもあったの。先生も、同じ性別の子供から移植するのが一番だって言ってた。でも、芹奈のお父さんは状態のいいものがいいって、わざわざ同い年の子供の脚を選んだのよ。
その脚が手術室に運ばれたとき、まだ血も固まりきっていなかったそうよ。志乃、その子がどれだけ痛かったと思う?」
もう耐えられず、美羽の頬を思いきり張った。
よける間もなかった美羽は頬を押さえ、顔をゆがめて怒鳴った。
「志乃!あんた、頭がおかしいんじゃないの!言っておくけど、芹奈の脚だけじゃない。あんたの耳だって、蓮司本人が切り落とせって命じたのよ!」
第6話
「誰にも気づかれずに、陽向を無事に育てるためよ。蓮司はね、私と陽向のために、あなたたちを犠牲にしたの!」
美羽は狂気じみた顔で、興奮に目をぎらつかせていた。見ているうちに、こちらまでおかしくなりそうだった。
芹奈は聞いていられなくなり、私の腕の中から振り返って、美羽を叩こうと手を伸ばした。
「悪い人!そんなこと言っちゃだめ!お母さんをいじめないで!」
美羽はかっとなり、芹奈の手をつかんで力任せにひねった。
「片脚しかないくせに!」
我を忘れ、芹奈を守ろうと美羽を力いっぱい突き飛ばした。
次の瞬間、パシンと頬を思いきり張られた。
駆けつけた蓮司は、赤くなった手のひらを見つめたまま、愕然としていた。
「志乃、違う……わざとじゃない。叩くつもりなんてなかった」
目を赤くし、心配そうに私の頬に触れた。
「痛いか?本当に、わざとじゃ……」
「蓮司!」
美羽は蓮司の手をつかみ、涙をこぼしながら訴えた。
「蓮司、怖い……」
陽向も蓮司の脚にしがみつき、泣きそうな顔で訴えた。
「お兄ちゃん、この人たちが僕とお母さんをいじめた!」
蓮司はわずかに体をこわばらせたが、美羽たちには目もくれなかった。赤くなった私の目をじっと見つめ、震える声でもう一度尋ねた。
「志乃、痛くないか?」
私は何も答えず、冷え切った目で蓮司を見ていた。
蓮司がさらに何か言おうとしたとき、美羽が陽向を突き飛ばした。陽向は床に倒れ、脚を抱えて泣き始めた。
「お兄ちゃん、脚が痛いよ。病院に連れていって」
蓮司は迷っていたが、美羽は突然その場にひざまずいた。
「蓮司、お願い。助けて」
蓮司は陽向を放っておけず、結局は抱き上げ、そのまま部屋を出ていった。
そのとき、ポケットの中でスマホが激しく震えた。
【御堂様、ご依頼いただいた遺体2体の準備が整いました。すでにご自宅へ運び込んであります】
【今すぐお子様を連れて家を出てください。あとは火災事故に見せかけ、すべてこちらで処理いたします】
画面を消し、芹奈に服を着せた。用意しておいた遺書を予約送信に設定し、最後に芹奈を連れ、暗闇に紛れて裏口から家を出た。
その頃、蓮司は美羽と陽向を病院へ送り届けていた。
美羽のか細い泣き声に、蓮司は初めて苛立った。一刻も早く家へ帰り、私と芹奈にきちんと謝ることしか考えていなかった。
今日はどうかしていた。帰ったら、志乃にも芹奈にもきちんと謝ろう。明日は芹奈を遊園地へ連れていき、大好きな人形も買ってやる。俺のことが大好きな芹奈なら、きっと喜んでくれるはずだ。
そう思うと、蓮司の口元に自然と笑みが浮かんだ。
そのとき、スマホが震えた。私が予約送信したメッセージだった。
添えられた写真には、炎に囲まれ、ただ身を寄せ合う私と芹奈が写っていた。
蓮司はスマホを取り落とし、頭の中が真っ白になり、意識まで遠のきかけた。
そこへ、湊から電話がかかってきた。
「御堂社長、大変です。あの件が外に漏れました。奥様はその事実に耐えきれず、お嬢様と一緒に自殺を……」