幼なじみの夫は私を壊した女を選んだ

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夫の高瀬修也(たかせ しゅうや)が今も忘れられずにいる女は、かつて3年間、私をいじめ続けた張本人だった。その女が息子の高瀬悠(たかせ ゆう)の担任になり、今度は息子の身の安全を盾に私を脅してきた。 それでも夫は何もしないばかりか、冷たく私を責めた。あの女をかばうためなら、悠が傷つくことさえ構わないのだ。 けれど、今度ばかりは譲れない。私·岡田千尋(おかだ ちひろ)は、この子の母親なのだから。

Chapters (1)

第1章

夫の高瀬修也(たかせ しゅうや)が今も忘れられずにいる女は、かつて3年間、私をいじめ続けた張本人だった。その女が息子の高瀬悠(たかせ ゆう)の担任になり、今度は息子の身の安全を盾に私を脅してきた。 それでも夫は何もしないばかりか、冷たく私を責めた。あの女をかばうためなら、悠が傷つくことさえ構わないのだ。 けれど、今度ばかりは譲れない。私·岡田千尋(おかだ ちひろ)は、この子の母親なのだから。 第 1 話 新学期が始まって、まだ1週間。幼稚園に通う悠が、またけがをして帰ってきた。これで3度目だった。 殴られて乳歯が抜け、口に血をためた悠が、弱々しく泣きながら訴えた。 「ママ、新しい先生が、殴られたのは僕が悪いからだって。僕のこと、クズって……」 怒りに任せて職員室のドアを開けた私は、そこで昔の恋人と親しげに話す修也を見つけた。 修也はあざだらけの悠を一瞥すると、とっさにあの女を背後にかばった。そして、取り乱す私を見て眉をひそめた。 そして、何でもないことのように言った。 「男の子は、殴られなきゃ一人前にならないんだ。何だよ、そのざまは。みっともなく取り乱すな」 修也の背後にいる女から、目が離せなかった。全身が冷えきっていく。 かつて3年間、私をいじめ続けた女が、長い年月を経て、再び目の前に現れたのだ。 …… 血が凍りついたようだった。悠の手を握りしめる指先まで、冷たくなっていた。 3年間私を苦しめ、今も夜中に見る悪夢に現れる女が、笑いながら声をかけてくる。それだけではなかった。 ここにいるはずのない修也が、いとおしそうにその女――黒田絢音(くろだ あやね)の手を握っていた。 ふいに、握っていた手が離れた。隣にいた悠が、怯えて私の背中に隠れたのだ。涙をためた大きな目を、しきりに瞬かせている。 あざのできた小さな手が、おずおずと絢音を指した。 「ママ、この人が新しい先生だよ」 その指の先で、絢音が挑発するように私を見ていた。頭の中が真っ白になる。 昔やけどを負わされた腕が、またうずき始めた気がした。 髪をつかまれ、ひざまずかされて犬の鳴きまねをさせられた。口にチョークの粉を詰め込まれ、服を剥ぎ取られて動画を撮られた。あの日々が、目の前によみがえった。 何年たっても忘れられない。ライターで肉を焼かれたときの、吐き気を催す焦げた臭いも、骨まで突き刺さるような痛みも。 「千尋?やだ、千尋ちゃん。私のこと、忘れちゃった?」 反応できずにいる私に、絢音は笑顔のままもう一度呼びかけた。その目には、舌をちらつかせる毒蛇のように、私をもてあそぶ悪意が浮かんでいた。 隣の修也が絢音の手を離す。 あざだらけの悠を見てから、取り乱したままの私に目を移し、不機嫌そうにまた眉をひそめた。 「千尋、何をぼうっとしてるんだ。絢音のことは知ってるだろ」 目の前が真っ暗になった。恐怖に胃が縮み、吐き気がこみ上げる。体の脇に垂らした手が、かすかに震えていた。 何て恐ろしいのだろう。 あれほど残酷に私をいじめた女が、子どもを教え導く立場になっていた。 修也とよりを戻し、私だけでは飽き足らず、今度は悠までいじめようとしている。 悠がそっと服の裾を引いた。 黒い瞳を瞬かせ、不安そうに私を見上げている。 「ママ、どうしたの?パパ、先生のこと知ってるの?」 その目を見れば、怖がって縮こまっているのが、はっきりわかった。 今日ここで穏便に済ませようとしたら、悠も昔の私のように、何も言えなくなってしまう。そして、その先に待つのは、ますますひどくなるいじめだ。 何もしない親と、怯えるだけの被害者。それでは、加害者をつけ上がらせるばかりだ。この悪循環は、どこまでも続いてしまう。 母親として、私が味わった苦しみを、この子にまで味わわせるわけにはいかない。 そう思うと、恐怖も、心にこびりついた暗い影も、少しだけ薄らいだ。私はしゃがみ、悠のふっくらした頬を優しくなでた。 「ごめんね。ママ、ちょっとぼうっとしちゃった。パパもね、先生が替わったって聞いて、会いに来たんだよ」 悠の目から、少しずつ不安が消えていく。ほっとしたのか、大きな黒い瞳に浮かぶ涙も、少し引いていった。 「黒田先生が来て、まだ1週間なのに、悠は3度もけがをしてる。教師なのに、子ども同士のけんかを止めるどころか、まだ幼い子に暴言を浴びせて、心まで歪めるなんて。きちんと説明してもらいたいわ」 絢音は鼻で笑った。肌を露出したキャミソールに短いスカート。濃い化粧をした顔には、昔と変わらず、人を見下す表情が浮かんでいる。 「証拠はあるの?」 私は悠の手首を取り、袖をまくった。腕のあちこちが青紫色に変わり、腫れ上がっている。殴られて乳歯が抜けたところからは、まだ血がにじんでいた。 息が詰まった。母親として、やりきれなかった。この子が不憫でたまらず、胸が締めつけられて、鼻の奥がつんとした。 いじめを受けてから体調を崩した私は、なかなか妊娠できなかった。結婚6年目になっても子どもを授からず、思いきって体外受精を受けることにした。 注射も採血も、何度受けたかわからない。 採卵のたびに針を刺され、何度も検査や処置を受けた。下腹部が痛くて、夜中に何度も寝返りを打ちながら眠れずにいた。 そんな生活を2年続けても、結局、子どもは授からなかった。 もう諦めようと決めて病院をあとにした。すると、神様が哀れんでくれたのか、その後、自然に妊娠したのだ。 母親にとって、子どもは宝物だ。まして、ようやく授かったこの子が、どれほど大切な存在か。 その宝物が、こんなふうに踏みにじられていた。 私は絢音をまっすぐ見据えた。もう、怯みはしなかった。 「これだけけがをしてるんだから、何かあったのは確かでしょう。こんな小さな子同士のけんかで、ここまでひどいことになるなんて、信じられない。防犯カメラの映像を見せて」 第 2 話 絢音が答えるより早く、修也が勢いよく立ち上がり、絢音をかばうように前に立った。 「何を騒いでるんだ。いい加減にしろ」 苛立ちをにじませた低い声で、私を叱りつける。 怒りに満ちた目を見返すと、胸の痛みがいっそう強くなった。 結婚してから、修也はずっと私に穏やかに接してきた。 それなのに今日は、絢音のことになると、私に怒鳴る。これで2度目だった。 事情も確かめず、ただ好きな女をかばうために。 修也とは、幼い頃から一緒に育った。親たちに言わせれば、お腹の中にいた頃からの付き合いだ。 修也は勉強ができて、顔立ちもよく、家も裕福だった。学校ではずいぶんもてていたけれど、本人は気にも留めていなかった。あの頃の私たちはお互いを深く思い合い、周囲も二人の仲を応援してくれていた。 けれど、長い年月を一緒に過ごした私より、突然現れた絢音のほうが、彼の心をつかんだ。 高校に転校してきた絢音は、燃え上がるような情熱をぶつけてくる女だった。家の権勢を笠に着て好き勝手に振る舞い、人目もはばからず修也につきまとった。 修也も、その勢いには抗えなかった。初めは嫌がって遠ざけていたのに、次第に気になり始め、やがて惹かれていった。 幼なじみの私は、絢音にとって目障りな存在になった。仲間を集めて、私をいじめ始めたのだ。 誰もが憧れる優等生と、勉強もろくにしない不良少女。その二人が付き合うようになって、修也がどうなったかは言うまでもない。 修也の成績は一気に落ち、授業をさぼり、たばこを吸うようになった。教室でも平気で絢音といちゃつき、頻繁にバーに出入りしては、家で毎日のように大げんかをした。 修也の母は、涙ながらに私にすがった。 「千尋ちゃんは、昔から本当にいい子だったものね。私はあなたが大好きだし、信じてるの。お願い、修也を助けてあげて」 その頼みを聞いた結果、私は絢音に頬を殴られ、服を剥ぎ取られた。修也は、冷めた目で見ているだけだった。 私の両親は離婚していて、私は酒とギャンブルに溺れた父と暮らしていた。半死半生の目に遭わされるたび、絢音は口止めの金を持ってきた。 父はへつらうように笑って受け取り、指に唾をつけ、嬉々として札を数えた。その合間に顔を上げ、絢音に愛想よく手を振った。 「また来てくれよな!」 成績の悪かった絢音は、高校を卒業すると、家族に遠方へ送り出された。修也は落ち込み、自分を傷つけ、毎日酒に溺れた。 私は必死になって修也を立ち直らせ、やがて周囲に祝福されて結婚した。 けれど、絢音が戻ってきただけで、そのすべてが、滑稽で哀れなものになってしまった。 悠がいる前で、言い争いはできない。 私はシッターに電話をし、悠を迎えに来てもらった。 「修也、あの子の体を見たでしょう。あんなに傷だらけで……あなたの子なのよ!それなのに、いい加減にしろって、どうして私に言うの?」 感情を抑えきれず、声を張り上げた。 修也は平然と言った。 「男の子は、殴られなきゃ一人前にならないんだ。何だよ、そのざまは。みっともなく取り乱すな」 絢音はくすくす笑い、涼しい顔で修也のたばこに火をつけた。修也は差し出された1本を受け取り、口にくわえた。 長いことやめていたたばこを、いとも簡単に吸った。 「今の子って、平気で嘘をつくものね。本当のところは、どうだか……」 「うちの子は嘘なんかつかない!」 私は強く遮った。 修也が唇を動かし、ためらいがちに言った。 「あの子は根の悪い子じゃない。けど、幼稚園で周りの子の悪いところをまねするようになったのかもしれないだろ」 「あんなに傷だらけになるまで殴られた悠が、帰ってきて嘘までついたっていうの?父親のあなたが、そんなことを言うの?5歳の子が、一人でこんな芝居を仕組んだとでも?」 修也は言葉を詰まらせ、それきり何も言えなかった。 私は冷たく笑い、歯を食いしばって、一言ずつ言い放った。 「今日は、何があっても映像を見せてもらうわ」 絢音の、たばこを持つ手が止まった。声に脅しがにじむ。 「千尋、昔のこと、本当に忘れたみたいね。あなたの動画、まだ私が持ってるってことも?」 絢音は小さく笑い、私をじっと見据えた。 私は修也を見た。 絢音は、私をいじめていたことを隠そうともせず、それを持ち出して脅している。それでも修也は、顔色一つ変えずに私を見ていた。 そうだった。 あの頃から、私が辱められる姿を冷ややかに眺めていられる人だった。 今になって、胸を痛めるはずもない。 あれから何年もたち、私は思うようになっていた。あの頃の修也は目がくらんで、一時的に冷たくなり、判断を誤っていただけなのだと。 けれど結局、私が人を見る目を持たなかったのだ。 修也は今も、好きな女に手を貸して、妻と悠を傷つけているのだから。 私は目をすっと細め、スマホを取り出した。あらかじめ雇っておいたボディガードを呼ぶ。 10人余りのボディガードが一斉に入ってきて、修也と絢音を取り囲んだ。絢音の顔に、珍しく怯えが浮かんだ。 私はそばの椅子に落ち着いて腰を下ろし、口を開いた。 「もう一度言うわ。映像を見せて」 防犯カメラには、すべてが映っていた。 年長組の子と悠がもめていた。初めは、ただの口げんかだった。 ところが、絢音がその子に何かを言った。何と言ったかはわからない。ただ、その直後だった。 その子が悠の顔に拳を振るい、乳歯が飛んだ。さらに体格の違いにものを言わせて、小さな悠を押さえつけ、何度も何度も殴ったのだ。 私は目を瞬いた。胸が何度も、ぎゅっと締めつけられた。 映像の中の絢音は、面白がるように眺めながら、悠を「クズ」と罵っていた。立ち去ろうとする悠に、わざと足まで引っかけた。 映像をUSBメモリにコピーし、バッグを持って席を立った。 絢音の顔に焦りが浮かんだ。すがるような目を修也に向ける。 修也は私の手をつかんで脇に引き寄せ、声を落とした。 「千尋、絢音も反省してる。ここに来て、まだ1週間なんだ。きっと慣れてないんだよ。今回だけは許してやろう。あの子だって、大したことにはならなかっただろ」 「じゃあ、集中治療室に入るまで、黙ってろっていうの?」 私は顔を上げてにらみつけ、大声で問い詰めた。 修也はまた言葉に詰まり、やがて歯を食いしばって逆上した。 「いつまで言ってるんだ!」 「絶対にうやむやになんかさせない!」 私は空いている手を振り上げ、修也の手を払いのけた。 その背後にいる絢音をゆっくりと指さし、険しい顔で言い切った。 「この女には、必ず償ってもらう」